2012/10/31

鎮魂の町を歩く(vol.14-4)常磐線復旧状況


カメの歩みのごとく遅々としたJR常磐線の復旧。
先ごろの東北のブロック紙・河北新報の記事では
国と宮城・福島両県、沿線5市町村、JR東日本がようやく合意、
相馬ー亘理間(27.6km)が2017年春に運転再開されるという。
(亘理ー浜吉田間は2013年春再開で既報)



















既存ルート、内陸移転などで揺れた末の結果で、
浜吉田ー駒ヶ嶺間は内陸側の新ルートと発表されている。

取り沙汰された山元町(山下駅・坂本駅)をはじめ、
既存ルートを陳情してきた住民の方々のことを思うと、
人口流出の問題も抱えて、胸が痛む。

自治体の思惑と沿線住民の悲喜こもごもを抱えて、
4年半後に原ノ町ー仙台間が全線復旧することになるが、
東京電力福島第1原発事故の警戒区域下の、
広野ー原ノ町間(54.5km)の復旧は見通しさえたっていない。



































さて、子どもの頃に口づさんだ唱歌「汽車」は、
「日本の歌百選」に選出されているが、
広野付近の景観を作詞したものと伝えられている。

今は山中 今は浜
今は鉄橋 渡るぞと
思う間も無く トンネルの
闇を通って 広野原

常磐線の早期全線復旧を祈らずにいられない。




















現在の常磐線の運行状況
仙台ー亘理、相馬ー原ノ町、広野ー上野の区間で運行中
亘理ー相馬間は代行バスが運行中
............................................................................................
*フェイスブックでも投稿しています

2012/10/30

案山子ララバイ2012(Vol.6-2)岩手県陸前高田市


被災地の食堂で知り合った遠来のボランティアの方から、
「陸前高田の国道45号線沿い『産直はまなす』に
案山子らしきものを見かけた...」と貴重な案山子情報が入る。

すわっ、陸前高田へ!と勇んで向かうも、なにしろ上野駅から
東北本線鈍行の道程、当日の現地入りは不可能というもので、
仙台から翌朝の列車とバスを乗り継ぎ、2日ががりで高田入りする。

産直に並んだ案山子たちにサンサンと降り注ぐ陽光は、
復興へ懸命に向かう陸前高田の人々への
まさしく希望の光であり、立ち上がる明日への光明。

どれも遊びゴゴロたっぷりのユニークな案山子たち。
ご当地のゆるキャラ「ゆめちゃん」、微笑ましい「80代の恋」から、
レディー・ガガをモデルにした「レディーガガシ」まで、
その数11体ほどあって、市民の心意気が伝わってくる。






















































新鮮な旬の野菜などを廉価で提供する「はまなす産直」と
斬新なアイディアに満ち満ちた、11体の案山子たち。
笑いのウズが絶えない、地に足の付いた心温まるおもてなしに、
「一本松転倒」(前投稿をご参照)の憂鬱も吹っ飛んだ。

*案山子は11月初旬まで展示(予定)
産直はまなす陸前高田」TEL 0192-47-4270

*公共交通機関
東北本線・一ノ関駅、大船渡線・気仙沼駅から、
大船渡行きの岩手県交通バスで「高木」下車、徒歩約10分。
一関(バス表記)から約2時間(1,670円)、気仙沼から約45分(880円)。
運行は1日4便。11/10以降は気仙沼から2本増便予定
.............................................................................................

*フェイスブックでも投稿しています

2012/10/29

鎮魂の町を歩く(vol.14-3)岩手県陸前高田市

あの一本松は、もうない。

大津波に耐えたことで、すっかり有名になった
陸前高田の「奇跡の一本松」。枯れ死して、
保存処理のために伐採されたニュースは、まだ耳新しい。

























ご多分にもれず、私も2回ほど足を運んで、
そのけなげな姿を見てきたのだが、
一抹の寂しさを感じるよりも、どこか自然の理に
そぐわない感情を拭いきれないままでいる。

70,000本のうち、たった1本だけ残ったことに、
ある種の奇跡を感じるのはわかるが、
"松の身"になって考えれば、直ぐにでも塩害のない土地に
移植して労ってあげるべきではなかったか。

それを"復興のシンボル"と謳って、
塩害による枯れ死が目に見えている地に留め続けたのは、
いささか人間の勝手なエゴではないか。

この松は奇跡と崇められるために、生き残ったのではない。
ただ植物の本分として、生きていたのである。

それを人間の欺瞞で、防腐処理などを施して、
レプリカ・モニュメントとして元の場所に戻される、という。
その費用は1億5千万円といわれている。
さては、目の玉が飛び出る高額なミイラになってまで、
復興のシンボルとされるのを、当の松はどう思うだろうか。

復興に奇跡はない。こんなことに時間を費やすより、
仮置場に積み上がった瓦礫のひとつでも
労をあてがうことが、復興につながるのではないか。

★「本末転倒」という戒めの言葉を借りれば、これは
「一本松転倒」ならぬ「一本末転倒」でしょうか。

そんなことをツラツラ思いながら、今回は
時間の関係で、バスの車窓から撮った陸前高田の光景です。






















*公共交通機関
東北本線・一ノ関駅、大船渡線・気仙沼駅から、
岩手県交通バスが、大船渡・盛地区まで1日4本運行。
陸前高田市は、気仙中学校前下車、徒歩5~20分。
一関(バス表記)から105分(1,530円)、気仙沼から30分(820円)。
........................................................................................

*フェイスブックでも投稿しています

2012/10/27

広告のある光景4-2 (October 27, 2012)


日本新聞協会広告委員会が、「日本」をテーマに公募した
2012年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」最優秀賞に、
普遍的で本質的な作品が選出され、とても好ましく思っている。

http://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2012.html

宮城県の被災地と案山子を行き来している折に、
ブロック紙・河北新報の夕刊で接したのだが、
目に留まった他の記事と一緒に、切り抜いて持ち帰った。
最近は新聞広告で目がウルウルしたり、
脳に心地よい刺激を受けるものはもはや稀だけに、
胸をすくような直球の広告に出会えて、
コンペの応募作品とはいえ、久しぶりに心が踊った。
(*↓掲出写真は新聞紙面の発表で、実際はカラー作品です)


















講評にあるように、「つづく」は希望の言葉でもあり、
「日本は続く。それであなたは、どうするの?と
見た人の心につぶてを投げているとも読み取れて、
インタラクティブな表現が広告としての力」
「国旗そのものをモチーフとした、いろんな意味で強い作品」
など、高く評価されていることに同感しきりである。

広告とは関連はないが、かねてから日の丸や国旗には
目が留まって、レンズを向けてきている。
写真を撮るようになって、ふと「日の丸写真」なる
失敗写真を揶揄するネーミング用語への抵抗感も手伝って、
いきおい加速、かなりの写真点数になっている。























平凡の非凡、と言ったらいいのだろうか、
日の丸だけが持つ潔さ、シンプルさは、人性の鑑と言っていい。
とりわけ被災地で遭遇したそれは圧倒的は存在感があり、
オリンピックで揚がる日の丸とは異次元の、
腑をえぐるような感覚。それは過ぎ去った歴史でも
一過性でも何でもなく、悼みと痛みがチクチクとつづく















.............................................................................
★日の丸のあるシーンが見られます
こころの日本遺産 「平凡の非凡、日の丸」
http://p.tl/ceIq
(日刊スポーツ・アーカイブ)
*フェイスブックでも投稿しています

2012/10/26

案山子ララバイ2012(Vol.6-1)宮城県山元町中浜

案山子がいるはずもない被災した地で偶然見つけて、
実りの秋となって、3度目の訪問である。

被災して沼と化した地が、今では茫々と草が生い茂り、
わずかながら稲らしきものが見えている。
三たび足を運んだ甲斐があって、老齢の持主に会えた。

津波で家も何もかも流された中、わずかに残った耕作地を
護るために、仮設住宅から日々通っているという。
見渡せば、案山子の外れた地に南瓜や茄子などの畑がある。

話を伺うほどに、代々継がれた農地を蘇生する矜持が、
ご不自由であられる身体からほとばしって、案山子の話どころでない。
いとまのお礼を言って、ようやくマネキンの衣裳を伺えば、
角田(内陸の町)の古着屋で安く仕入れて着せただけ、とおっしゃる。

山元町のお百姓さんのド根性と、素敵なエンジェル案山子。
頭の中がぐるぐる回って、宵闇の中を1時間トボトボと歩いた。




*公共交通機関は、常磐線・亘理駅から代行バスで約40分、

 坂元駅下車、海岸に向かって徒歩約40分。



.......................................................................................................
*フェイスブックでも投稿しています

鎮魂の町を歩く(vol.14-2)宮城県山元町2

中浜小学校の辺り一帯は、茫々とした光景が広がる。

打ち棄てられた冷蔵庫、コンテナ、電柱などが、
てんでに転がって、隆起したマンホールが、
津波災害の威力と地盤沈下をまざまざと伝える。





























道らしき筋を辿って行くと、掲示板だろうか、
存在していること自体が不思議な木製看板がポツリ。
掲示のほとんどが引き剥がされた跡に、
「がれき堤防復旧に活用」の見出し記事が残っている。

ほど近くには、「山元町総合案内板」と銘打たれた
立派なものが、鉄骨にパンチ打ちされている。
復興へかける町の希望の狼煙なのだろう、
山元町が賑わっていた頃に戻る日は、きっと近い 。


































*公共交通機関は、常磐線・亘理駅から代行バスで約40分、
 坂元駅下車、海岸に向かって徒歩約30~40分。

.......................................................................................................

*フェイスブックでも投稿しています

2012/10/25

鎮魂の町を歩く(vol.14-2)宮城県山元町

山元町の中浜小学校へ、6月に続いて訪ねる。

波打ち際から200mという距離ながら、
児童全員が屋上に避難して助かった学校として、
語り草になっている、小学校である。

常磐線の亘理駅から、代行バスと徒歩で辿り着くと、
高かった午後の陽に雲が立ちこめている。

あの日の姿のままの校舎、廃車置場となった校庭。
海岸に対して垂直・横長に設計された校舎と、
頑丈な躯体は、誰が何時見ても分かるように粛然と在る。

山元町は、中浜小学校を震災遺構として保存する方向だという。
教室、体育館、バルコニー、、、黙して語ることは多い。

併設の坂元小学校で、震災を乗り越えて頑張っている
学童たちは、創意と工夫の毎日であるに違いない。














































*公共交通機関は、常磐線・亘理駅から代行バスで約40分、
 坂元駅下車、海岸に向かって徒歩約50分。
.......................................................................................................

*フェイスブックでも投稿しています