Pete's Eye
ピート小林の酔眼レンズ
2012/06/29
鎮魂の町を歩く(vol.11)-2宮城県山元町4
児童全員が2階建校舎の屋上に避難して助かった学校、
として知られる、山元町立中浜小学校。
津波を逃がすため、海岸に対して垂直・縦長に設計された
校舎。
マニュアルにある内陸への誘導でなく、
瞬時に屋上への避難を指示した校長の判断。
このふたつがなければ...と今も語り草になっている。
これまで被災した多くの学校を歩いてきたが、
こうした学校に出合ったのは初めてで、
中浜小学校のこれからを注視していきたいと思う。
鎮魂の町を歩く(vol.11)-2宮城県山元町3
山下駅前広場は、さらなる看板で溢れかえっている。
というより、看板に占拠されている状態。
山元町住民の過激ともいえる心情なのか、直情なのか。
問答無用のデカ文字で「燃えろ浜っ子」「世界に発信」
「復旧・再興まつり」あたりから、「うのみたかのにぶ用
心」
アナーキーな「〜二世 田中角栄〜〜」まで....。
シュールな光景というよりも、これは、
60年代のアングラというか、
反体制運動のアジトのよう
で、
アタマが螺旋を描いたようにグルグル廻る。
鎮魂の町を歩く(vol.11)-2宮城県山元町2
常磐線山下駅前にあるメッセージ看板は、黒板ふうなのがミソ。
白地にマジック書きが看板類の定番だが、
チョークでの寄せ書きが温故知新?英文も混ざっている。
過ぎゆく月日がやや判読を困難にしているが、
こうしたメッセージ看板は、とかく関係者しか読まないもので、
看板があるということ自体に意義があるのだろう。
ふと、小学校の卒業アルバムの寄せ書きを思い起こした。
鎮魂の町を歩く(vol.11)-2宮城県山元町1
JR常磐線全線復旧へ道のりは遠く、メドすら立っていない。
多くの駅が流失した地で、山下駅はほぼ原型のままを留めている。
寸断された線路、跨線橋、駅名標、時が止まったまま...
2012/06/28
鎮魂の町を歩く(vol.11)-1「時刻表」2012年7月号
毎月20日に発行される「時刻表」は、私にとって必携。
「時刻表は毎月内容が変わります」というのが版元の常套文句で
定番の大変な収入源だが、春秋のダイヤ改正時以外は
なるべく購入を控えて、図書館の大型時刻表のコピーですませていた。
が、列島の津々浦々、そして被災地に頻繁に行き来する今、
いつもギリギリでローカル線に飛び乗って乗り継ぎする身には、
1分の誤差もミスになるので、今では毎月の伴侶である。
ちなみに多種多様の時刻表が店頭に並ぶなか、
「小型全国時刻表」(交通新聞社・550円)が一番見やすく
、
ポケットに入るジャストサイズで常用しているが、
ワンコインの500円から、いつの間にか値上がりしたのが痛い。
まだ新品の時刻表。これから18きっぷ旅の枕にもなってくれて、
補修を重ねて...きっと夏の終わりにはボロボロになっている。
2012/06/20
ノスタルジジィの戯れ言14 「The 銅像!金次郎」 (June 20, 2012
大震災以降「雨ニモマケズ/風ニモマケズ...」の賢治
が
再注目されている。さて、次に来る人物は?
そう、
二宮金次郎しかない!来たれ、ニノキン・ブーム!
ピート小林と歩く「こころの日本遺産」 (日刊スポーツ・アーカイブ)
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