昨春の能登は、氷見を緒に七尾界隈に滞留。
今年こそ、アシさえあれば!と輪島を目指す。
下調べゼロだったが、幸いに金沢駅前から
「輪島特急バス」の運行!を現地で知り得た。
すわっ、朝イチで富山の木賃宿を飛び出し、
午前便に飛び乗ると180分弱の道程で輪島だ。
併せて珠洲にも行きたかったのだが、生憎、
同日中には不可能と判明。次回に持ち越そう。
ルートになっている「能登里山空港」なる
名のエアポートは、凡そ商用でもない限りは、
一生縁がないだろう。ここ能登なる地では、
日本初の「世界農業遺産」に認定されている
だけあり聞き慣れなかった“里山里海”なる
名をアチコチで見かける。案山子発祥の地で
もあり、開眼してみるか!の念に駆られる。
“ふらっと訪夢”なる粋なネーミングを携えた
輪島駅舎の跡が目を射る。輪島人の鉄路を
惜しむ心持ちに打たれ、期せずしての同窓会
のごとき想いが立ち昇り、しばし目が潤む。
そうそう、輪島は、90年代の半ば夜行列車で
入って、朝市でおばちゃん達と話しながら、
獲れたての汁丼をすすった記憶!が瞼に蘇る。
松葉杖をついているような足取りで輪島の
町内のそこかしこをユルユルと歩きはじめる。
能登地震から1年3ヶ月余、ようやくに辿り
着いたその朝市は地震で跡形もない!更地と
なり立ち入り禁止。重機だけが視界に入る。
半壊した商店の軒先には、造花のサクラが
小気味よく飾られて流浪人の琴線をくすぐり、
加賀の美とでも言える誇りと矜持を感じる。
都会の街のやるせない造花とは違い、装飾は
かくあるべし!と無言で醸しているようだ。
隆起した道々の縁石で休み休み、来た途を
辿り戻ると、小高い丘のソメイヨシノらしき
桜が満開。近づいて仰ぎ見ると造花でなく
モノホンの桜のイデタチをしている!?!?
頬を2~3回つねったり、眼鏡を外して裸眼で
見ても本物の姿カタチである。近くに設置
された仮設住宅の桜となれば、仮のモノでは
断じてなかろう。物憂げな午後の光の下で、
子どもたちに交じって遊んでいると、此処は
どこ?私は誰?の思いに頭がグルグルする。
造花の桜と生花の桜。両手に花、僥倖である。
ときに、大相撲の“輪湖”時代を築いた第54代
横綱・輪島はご当地ならぬ七尾の出身である。
なぜ四股名が“輪島”なのか、知りたいところで、
能登の誰かさん、そ~っと教えてくださ〜い。
*関連投稿:(七尾①② 2024春)
https://petekobayashi.blogspot.com/2024/05/with-love-and-patience-nothing-is.html
https://petekobayashi.blogspot.com/2024/05/with-love-and-patience-nothing-is_28.html