2025/07/06

“蝦夷富士”あらため、「北の富士」!はいかが?  

道北・名寄まで来たら、北の大地が生んだ

名横綱・北の富士を素通りする訳にはいかぬ。

本来ならば、出生の地・美幌、少年時代を

過ごした留萌を訪ねたくも、次の機会にして、

出身地とされる旭川に寄った。旭川電気軌道の

バスに飛び乗り、旭川市役所の展示ロビーへ。


「旭川が生んだ名横綱・北の富士展~その
功績を称えて~」なる大掛かりな特別展示会が

この3~4月の間に催されたそうで、今回は

あいにく「化粧回しと簡単な年譜」のみの展示。

昨年11月の逝去から、かような展示の“有無”

をチェックした訳でもなくて、出たとこ勝負。

超ミニマムの展示でも、有り難き遭遇!として

感謝せねばバチがあたる。北向きで寝られぬ。


かく宣う下僕は、北の富士の大ファンであった。

四股名は体を表すと言われるが、土俵入りの

姿があたかも富士山のようで、美しく、麗しい

残念なことに、大関から横綱に昇進、全盛期を

迎える頃はあいにくの海外在住。今のような

国際放送なぞあるわけでもなく、出来事はツユ

知らずの浦島太郎ジョータイ。帰国後の見聞や、

TVの実況やらですっかり虜になったクチである。


「二兎を追う者は一兎を得ずなる諺とは

異にするし、ま、次なる北の大地への流浪では、

美幌と留萌のゆかりの地を訪ねよう。どちらも

桜狩りで訪ねた懐かしい地!今から愉しみである。


⦿温めていた“提案”をひとつ。北の大地の後志に

富士山のように美しい姿から、愛称“蝦夷富士”と

呼ばれる「羊蹄山」がある。これを一気呵成に

に愛称「北の富士」にするのはいかがだろう!?

素っ頓狂で荒唐無稽なアイデアかもしれないが、

羊蹄山を望む函館本線・車窓でフツフツと湧いた。


“蝦夷”なる名はすでに十二分な役割を果たしたし、

愛すべき北海道の新しいステージに向けて大胆

な施策が必要!という思いが旅路で強く感じた。

どなたか鈴木直道・道知事にプレゼンテーション

の旗をご一緒に振る方はいらっしゃいませんか?


11月12日までの一周忌まで時間はおよそ4ヶ月。

名横綱「北の富士」は出身地主義ではあるまいし、

きっと泉下でニンマリ、否、拍手喝采を送る!



































































↓ 旭川市役所での春の展示(2025年春) 
   (画像元:旭川市役所)


















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JR旭川駅舎:正面とホーム


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2025/07/04

名古屋場所、もとい名寄岩場所!?

小夜を明かした函館のザ・ペンションで

サイコロを振ると、北へ行け!という。

始発待ち待ち!ノンビリ屋の市電に乗って、

無駄の塊のごとき函館の駅前スペースを

乗り越えて、かつ改札からホームが遠~い

9番線ホームへ滑り込む。特急・北斗は、

怪我を被った我が脚なんぞツユ知らずで、

発車ベルをけたたましく鳴らしている。

       

        (中略)


札幌でライラック”、旭川でサロベツ”に

乗り変える。折しも特急、目指す名寄」は

あっという間だ。比布、塩狩、士別、美深、

音威子府、幌延、豊富、抜海駅跡!そして、

終着・稚内へ!かつての桜追っかけ旅路を

なぞる衝動に駆られる。が、あの水原 弘の

♪恋の花びらの如く、それは叶わぬ遠い夢。


あっイカン、郷愁に溺れ「名寄」を乗り越す

寸前だった。真夏の如き陽射しに大汗かきの

輩はフーフー。名寄のお上りさん、資料に

目を遣れば「名寄」は北国の典型的盆地の町。

「1年の気温差が、ななんと78度Cを超える

寒暖差日本一の町!だそうな。手強いぞ名寄


ともあれ、ご当地・名寄が輩出した昭和の

名力士・元大関「名寄岩」の記念館へと急ぐ。

メンコ、ビー玉、ベーゴマ、野球と並んで、

相撲が日常の遊びだったガキ時分の少年時代、

いの一番!の贔屓力士は「名寄岩」。工場の

寮の隅っこにある小部屋(自宅)で、中ブルの

ラジオに齧り付いて耳を澄ました記憶が蘇る。


不世出の大横綱・双葉山の太刀持ちを務めて

怒り金時”と揶揄もされた数々の逸話やら、

映画「名寄岩 涙の敢闘賞」...。が、ガキ時分

には知る由もなく、ン十年後に北国博物館*を

訪ねて知り得たことで、名寄の町に大感謝。

ほどなく初日を迎える大相撲名古屋場所では、

取組を横目で見ながら、抱えるように持ち

帰った「名寄岩」本を読み耽よう。もちろん、

突拍子なく名付けて「名寄岩場所!」とする。































































*名寄市北国博物館
https://hokkaido-digital-museum.jp/facility/nayoro-city-museum/




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2025/07/03

舶来居酒屋と吉田類的女酒場 in 函館

北の大地・北海道のゲートシティー・函館。

振り返れば、90年代から“桜前線+案山子

撮影”という初一念で、ざっと30回ぐらいは、

函館に我が鈍足を踏み入れてきただろうか。


—振り返るのはいささか苦手の輩であるが、

青函連絡船の無き後…①上野〜函館を長躯

結ぶ高速夜行バス ②青森の波止場からの

青函フェリー ③青森~札幌間の夜行列車・

はまなす ④上野からの夜行列車・北斗星、

そして ⑤北海道新幹線の函館まで開通後は、

 “弾丸列車”に世話になったり、ま、風来坊

のゆえに移動はナリユキという塩梅である。

(③④は残念ながら、惜しまれつゝ運行廃止)


その函館入りは、利用する格安切符*の関係で、

“シンハコダテホクト”とゆー舌を噛むような

ナマエの駅に持って行かれて、何とかライナー

とかゆー野球場行きみたいな電車に乗せられ、

ようやくにして北のニュー玄関口・函館駅だ。

ちなみにオールド函館駅は寝泊まりできたり、

我が性分に合ってか!懐旧の念が込み上げる。

(あ、野球場といえば、甲子園南北海道大会を

函館千代台野球場で見たくもナイター無しw)


気を取り直して、意味なくだだっ広い駅前を

負傷の足腰を引きずって松風町へと歩を進める。

シンボルの百貨店「棒二森屋」は数年前から

すでに無い。駅前商業地・若松町も今いずこ?

「大門市場」とゆーとってつけた商業市場に

お上りさん?の黄色い声が飛び交い始めている。


オンチの喉で函館エレジー♪を口づさみながら

長らく贔屓にしてきた舶来居酒屋「杉の子」へ。

名物ラムハイ(なんと250yen)、熊本・山鹿の

銘酒に舌なめずりしたりの貴重なる函館タイム。

函館の夜は早い。名残り惜しみ市電に揺られ、

ドックの手前、贔屓する居酒屋&ペンションへ。


何でも函館マラソンを翌日に控え、函館市内の

宿という宿が満杯!の様子で野宿も覚悟の身

だったが、憐憫の情で女将が小上がりに寝床を

こさえてくださる。ブラボー大黒屋!大好物の

ニシンをはじめ、美味小料理で舌鼓を打って、

銘酒で喉を潤した小夜。我が身に似合わない!

ほどの贅沢三昧をさせていただいた函館ナイト。


吉田類も、きっとこんな歓迎は受けてなかった!



























































































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*大人の休日倶楽部パス(東日本・北海道)

https://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?pc=2&GoodsCd=2948