道北・名寄まで来たら、北の大地が生んだ
名横綱・北の富士を素通りする訳にはいかぬ。
本来ならば、出生の地・美幌、少年時代を
過ごした留萌を訪ねたくも、次の機会にして、
出身地とされる旭川に寄った。旭川電気軌道の
バスに飛び乗り、旭川市役所の展示ロビーへ。
この3~4月の間に催されたそうで、今回は
あいにく「化粧回しと簡単な年譜」のみの展示。
昨年11月の逝去から、かような展示の“有無”
をチェックした訳でもなくて、出たとこ勝負。
超ミニマムの展示でも、有り難き遭遇!として
感謝せねばバチがあたる。北向きで寝られぬ。
かく宣う下僕は、北の富士の大ファンであった。
四股名は体を表すと言われるが、土俵入りの
姿があたかも富士山のようで、美しく、麗しい。
残念なことに、大関から横綱に昇進、全盛期を
迎える頃はあいにくの海外在住。今のような
国際放送なぞあるわけでもなく、出来事はツユ
知らずの浦島太郎ジョータイ。帰国後の見聞や、
TVの実況やらですっかり虜になったクチである。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」なる諺とは
異にするし、ま、次なる北の大地への流浪では、
美幌と留萌のゆかりの地を訪ねよう。どちらも
桜狩りで訪ねた懐かしい地!今から愉しみである。
⦿温めていた“提案”をひとつ。北の大地の後志に
富士山のように美しい姿から、愛称“蝦夷富士”と
呼ばれる「羊蹄山」がある。これを一気呵成に
に愛称「北の富士」にするのはいかがだろう!?
素っ頓狂で荒唐無稽なアイデアかもしれないが、
羊蹄山を望む函館本線・車窓でフツフツと湧いた。
“蝦夷”なる名はすでに十二分な役割を果たしたし、
愛すべき北海道の新しいステージに向けて大胆
な施策が必要!という思いが旅路で強く感じた。
どなたか鈴木直道・道知事にプレゼンテーション
の旗をご一緒に振る方はいらっしゃいませんか?
11月12日までの一周忌まで時間はおよそ4ヶ月。
名横綱「北の富士」は出身地主義ではあるまいし、
きっと泉下でニンマリ、否、拍手喝采を送る!
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