よりも密接に結びついているのでは、
との思いを、年々強く抱くようになっている。
遠足や修学旅行に始まる幼少からの体験が、
観光ガイドさんの手旗とセットで
体内に刻まれていた記憶も失せる頃合いに、
ふと後年、出合ったりするからである。
宮城県の女川町がそうだった(添付写真)。
撮影取材で赴くと、新しい女川を象徴する駅前の
「シーパルピア」でそんな光景に出くわして、
突如、ムカシの修学旅行を思い起こした。
といえども、これは桜の大阪城でも、京の嵐山でも、
弘前城公園でも、桜満開時には至るところで
遭遇する定番の風景だが。こと被災地の女川だから、
少し背筋がザラっとする異物的感情を覚えた。
少人数のグループならば、少なからず見てきたし、
記念の建造物の前で写真を撮るのを見ても、
ハイ・チーズのポーズがない限りは、
気持ちにせいぜいさざ波が立つほどの程度だろう。
あるいは「震災学習」の名で学童を呼んだり、
あるいは「語り部」から体験を伺ったり、
するのとは異相のものに映ったからに他ならない。
"観光"とは「国の光を観ること」の意で、
大正時代に"tourism"の略語として用いられた...
とされているが、文字通り、集合写真に
収まる方々の心に光が見えたのを望んでやまない。
あの年の3月11日からほどない時期に、
出合ったマンホール。町鳥のウミネコと桜が
強くて優しい微笑みを今日も湛えていた。
*掲出写真はイメージとしてのもので、
表出の団体を指すものではありません。
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