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その前夜まで、私は関西・大阪にいた。
成人の日が1月15日だった四半世紀余り前、
3連休を利用して「三都物語」の関西3エリア
を訪ねていた。前泊した大阪の友人からは、
もう一泊したら!と勧められたが、前年秋に
レンゾ・ピアノの設計で開港した「関空」
(関西国際空港)をいち早く見て、体験したい!
好奇心から前夜16日の最終便に飛び乗った。
加えて、その日はマイ・バースデーだった。
幼いdaughterが誕生日を祝ってくれるかも!
の微かな期待もあったような朧げな記憶も。
JAL 最終便:関空20:30➤➤➤羽田22:00
17日朝、ニュース報道で驚愕した。出勤した
外資系広告代理店の社内でも尋常ならぬ空気。
翌週末、居ても立ってもいれず、友を誘って
夜行列車で西へ。唯一、動いていたJR神戸線で
芦屋まで辿り着く。崩壊した高速道路、潰れた
家々、ひしゃげた商店等が延々と続いている。
茫然自失。青色の敷物(後のブルーシート)が
行く手の全体を覆っている。押し黙ったまま、
上空を睨んで、カンを頼りにひたすら西へ。
心身制御不能。辛うじて脚だけが動いている。
時間・距離の感覚はもろごと喪失。昼行燈。
首にかけられた一眼カメラのシャッターには、
一瞬とて触れられず。携行した身をなじる。
……やがて、半壊ビル群の躯体が視界に現る。
これが神戸の姿か!!いたたまれぬままに、
ボランティアで現地入りしている米国人レディ
の知人を見て、募金箱にそっと手を入れた。
(帰路は割愛)
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1995年1月17日「阪神淡路大震災」を緒に、
「3.11 東日本大震災」などの被災地に
微力ながら心を寄せてきている身ですが、
手を差し伸べられなかった「1.17」の
負い目が埋め合わせのように働いている...。
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神戸震災復興記念公園:2024.9.29 撮影
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