2012/08/03

鎮魂の町を歩く(vol.12)-3 相馬市松川浦4

鎮魂の町を歩く(vol.12)-3 相馬市松川浦3 松川浦に津波で流されなかった丹下左膳の石碑がある。 と聞けば、行かないわけにはいかぬ。 が、松川浦でも反対側にある岩子地区。バス路線はない。 地図で見当をつけると、1里半はゆうにある。 目まで汗をかくような南中の時刻、農道の畦道ならまだしも、 アスファルト舗道が照り返す温度は40°近くに感じる。 イチ・ニ・サンとまるで兵隊のように声を出して進む... ノドはカラカラ、身体は日射病寸前(のような気が!)状態で、 目を凝らすと彼方にポツンと店らしき建物が。 こんにちは〜。息せきったように飲み物をノドに放り込む。 風体も?な荒凡夫を歓迎して下さった女将さんによると、 海から200mにあるお店の商品はもろとも流失、 辛うじて残ったのは、兼業する簡易〒局の金庫の中身だけという。 すぐさま地域のお年寄りの避難を手助け、 また消防隊員のご主人は拡声器で緊急避難を呼び掛け回って、 多数の人命を救った...地元紙・福島民報にも記されている。 そうしたご自身らが最後に逃げた高台から 見たものは、津波に飲み込まれていく集落の姿だった...。 さて、丹下左膳碑は、昭和の相撲力士のような体躯で デーンと建ち、あえなく転がりこけた船を眼下に携えている。 まぎれもなくあの時代のヒーローだった 不死身の妖怪剣豪は、津波をバッサバッサと斬って、 地域の人を最大限に護ってくれたに違いない。


その夜、かの仙台のお店に寄せていただき、
携帯画面の丹下左膳碑を女将さんにかざすと、にこやかな笑顔。
津波に負けず身体を張ってくれた相馬武士のロマンは、
故郷を想うよすがとして、永遠に生き続けるに違いない。









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