鎮魂の町を歩く(vol.12)-3 相馬市松川浦3
松川浦に津波で流されなかった丹下左膳の石碑がある。
と聞けば、行かないわけにはいかぬ。
が、松川浦でも反対側にある岩子地区。バス路線はない。
地図で見当をつけると、1里半はゆうにある。
目まで汗をかくような南中の時刻、農道の畦道ならまだしも、
アスファルト舗道が照り返す温度は40°近くに感じる。
イチ・ニ・サンとまるで兵隊のように声を出して進む...
ノドはカラカラ、身体は日射病寸前(のような気が!)状態で、
目を凝らすと彼方にポツンと店らしき建物が。
こんにちは〜。息せきったように飲み物をノドに放り込む。
風体も?な荒凡夫を歓迎して下さった女将さんによると、
海から200mにあるお店の商品はもろとも流失、
辛うじて残ったのは、兼業する簡易〒局の金庫の中身だけという。
すぐさま地域のお年寄りの避難を手助け、
また消防隊員のご主人は拡声器で緊急避難を呼び掛け回って、
多数の人命を救った...地元紙・福島民報にも記されている。
そうしたご自身らが最後に逃げた高台から
見たものは、津波に飲み込まれていく集落の姿だった...。
さて、丹下左膳碑は、昭和の相撲力士のような体躯で
デーンと建ち、あえなく転がりこけた船を眼下に携えている。
まぎれもなくあの時代のヒーローだった
不死身の妖怪剣豪は、津波をバッサバッサと斬って、
地域の人を最大限に護ってくれたに違いない。
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