2012/08/26

甲子園よ永遠なれ (August 23, 2012) 大阪桐蔭VS光星学院2

全国高校軟式野球選手権大会が明石・高砂球場で始まったが、
今年はあいにく見に行けない分、もう少し甲子園私記を続けよう。

東北勢の頂点への挑戦は、今回で7回となるが、
94回という夏の甲子園の歴史の中で、過去の6回を併せて列挙してみるー。

第1回大会(1915年)   秋田中1-2京都二中
第51回大会(1969年) 三沢2-4松山商
第53回大会(1971年) 磐城0-1桐蔭学園
第71回大会(1989年) 仙台育英0-2帝京
第85回大会(2003年) 東北2-4常総学院
第93回大会(2011年) 光星学院0-11日大三
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第94回大会(2012年) 光星学院0-3大阪桐蔭

























こうしてみると、戦前の秋田をはじめ、青森2校、宮城2校、福島の
4県が伝統校を擁して挑戦したが、いずれも悲願の白河の関越え成らずだった。
比較的新顔の光星学院の2年連続(センバツ含むと3季連続)は、
白眉で悲運としか言いようがないが、2年とも零敗だったところが引っ掛かる。

前稿で「高校野球は大学野球やプロ野球と違って極めて感情的なスポーツ」
と記したが、そのへんのところをもう少し掘り下げてみたい。

大阪桐蔭と光星学院の決勝戦は、事実上、大阪同士の戦いと言われていた。
出身中学をみると、ベンチ入り18人中、大阪の中学出身者は
大阪桐蔭10人、光星学院7人。他の部員も大阪桐蔭は全員が関西出身で、
光星学院は青森の4人を除き、全国各地からの野球留学組であった。
こういうケースでは、データがあるのかどうか分からなく、さしたる理由も
ないのだが、どうも地元の本家が分家(?)を制するという気が否めない。

「大阪桐蔭に憧れていた」と前稿で記した光星学院の中心バッターの言を
挙げるまでもなく、甲子園という準・大阪の聖地(実際は兵庫県西宮市)で、
大阪桐蔭のアタマに付いた"大阪"の2文字に、光星学院のナインは、
少なからず大きな重圧を感じて見えたほど、選手は萎縮して見えた。
(ついでに言えば、今の選手は知る由もないだろうが、小さな大投手と
語り継がれる田村を擁した福島・磐城が惜敗を喫した神奈川・桐蔭学園は、
大阪桐蔭とはまるで無関係だが、紛らわしい校名の重力?ではある)




















さて、深紅の優勝旗が「白河の関」を越える日は!?と今以上に、
騒がれていた10年近く前、白河の関どころか、一足飛びに
津軽海峡を軽々と越えた駒大苫小牧の勲章に、ここであえて触れたい。
第86・87回大会(2004・5年)は、駒苫旋風が甲子園の内外に
ハリケーンのように吹き荒れた、高校野球史でも特筆される大会だった。
(翌年の早実との壮絶な決勝再試合は世紀のドラマと称されて、
甲子園ファンの脳裏に「駒苫」の名は陽炎のように焼き付いているだろう)

第86回の相手チームは春夏連覇を狙っていた愛媛・済美だったが、
二転三転の壮絶な打撃戦の末、13−10で勝利して歓喜の初優勝。
第87回は京都・京都外大西を相手に横綱相撲の5-3で下して連覇しているが、
前日の準決勝では大阪桐蔭を6-5(延長10回)で破った記録が残っている。

その両年、目に焼き付いているのは、完全にアウエーであったはずの
北海道の駒大苫小牧が、スタンドを埋めた満員の甲子園ファンを
なぜか完全に味方につけたかのようで、拍手と手拍子がスゴかったのだ。
相手の済美は、関西のファンに好まれる野球王国愛媛の代表、
ましてや京都外大西は、言わずもがなの関西の京なのに、である。

よく甲子園ファンは「判官びいき」と言われてきたが、この時ほど、
それを感じたことはない。雪との戦いというハンディを乗り越えて甲子園に
辿り着いた匂いのようなものがナインにあったのだろうか、
何かひたむきなチームカラーを観客は感じて応援した。そんな気が強くした。




















ひるがえって、光星学院に惜しむらくはスタンドの後押しがなかった。
3季連続決勝にコマを進めた裸の大将に、観客は何を感じていたか。
繰り返しになるが、分家で苦労してきた子たちも可愛いのだが、
より競争の激しい本家で切磋琢磨してきた子たちの連覇への夢を
叶えさせたい空気が勝っていた。当然といえば当然であり、
そういうスタンドの空気に克つのは、高校生には酷なことである。

光星学院に欠けていたものがあるとすれば、という前稿のくだりで、
「心・技・体」の甘さを挙げたのだが、小フェイスブック版(http://p.tl/eW9g)に
仙台の方から興味深いコメントがあったので、ここで抄録させていただく。
「東北人の心技体は"忍"で支えられている。その忍は人を打ち負かす
力ではない内側のパワーで、勝つ力にはならないのかもしれない」

いみじくも東日本大震災からの復興に立ち上がる東北人の姿を、
見事なまで具現化している言葉のように思えてくる。
こうした内側のパワーこそ、日本の真のパワーではなかったか。

神のみぞ知る、、、近い日、東北のチームにまごうかたなき栄冠が
輝くことを、7回の挑戦をもって、いま信じてやまない。
あのダルビッシュ(東北)も果たせなかった、真の白河の関越えを。





















★甲子園―ジャパニーズドリーム! もっと見る→http://p.tl/1bXc ピート小林と歩く「こころの日本遺産」 (日刊スポーツ・アーカイブ)




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