浜通りと呼ばれる福島県の沿岸、中でも北部の「相双地区」
相馬エリアの3.11による被害は、今までメディアで
もっとも報道されてこなかったという気がずっとしていた。
あの日、漁業を営まれるご実家がまるごと流されたにも拘らず、
あの日、漁業を営まれるご実家がまるごと流されたにも拘らず、
気丈に振る舞ってお店を切り盛りされる女将さんが、仙台の地におられる。
ほんの1週間前、ふとした会話から知り得たことも、
相馬行きの、心理的に十分な後押しをしてくれたのだろうか。
愚図の大忙し、ここ1週間で3度目も、そも1年4ヶ月余も経ての行動である。
愚図の大忙し、ここ1週間で3度目も、そも1年4ヶ月余も経ての行動である。
福島交通相馬営業所でいただいた時刻表を握りしめて、
「松川浦原釜循環線」8:25に飛び乗る。およそ4kmを過ぎた「下り松」
あたりから、景観が一変。慌てて平前バス停で降車する。
炎暑の中、悲しみと悼みで宙づりになる。
あるのは、浮遊感を伴った、よるべなさ。
松川港、松川浦、船越、尾浜、原釜、相馬港南、相馬港の
名の付いていたであろうバス停留所(多くは跡形もなく流失)をかすめて、
松川浦の入江沿いだろうか、夢遊病者のようにさすらう。
こころは内面決壊して、カメラ機材が鉛のように肩に食い込む。
潮騒が海鳴りの如く響く。シャッター音も空しく、フィルムを不意に落とす。
こころの厳戒令を布いたかの、強ばった全身。
1年4ヶ月余前の、あの日、どれほど忌まわしい惨禍だったか。
みちのく沿岸部の一帯を数多く歩いてきたので
現状から容易に想像できて、恐れ慄き、頭を垂れることしか出来ず。
手もとの観光ガイド冊子が、さりげなく伝えている。
ー古くは相馬藩の遊休所として栄え、日本百景の一つでもある松川浦。
原釜・尾浜海水浴場を抱えるリゾート、豊富な海の幸の漁港と
重要港湾で知られる相馬港...愛すべき地が一網打尽にされてしまったのだ。
折しも「相馬沖で漁獲されたミズダコとツブ貝が動きはじめた」と
ブロック紙・河北新報が活字も弾んで伝える。
どうか、かつての松川浦にかけがえのない日々が戻ってきますように。
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