2014/06/09

茨木のり子展・凜とした詩人の声

桑原甲子雄展から、東急バスと京王バスの
2本を乗り継いで、降りしきる雨の中をひた走って、
茨木のり子(1926-2006)の回顧展に滑り込む。

持ち時間30分。谷川俊太郎さんが撮影したという
ポートレートに誘われて会場に駆け込むと
大きなパネルになった代表作の詩が目に飛び込んでくる。

























*「わたしが一番きれいだったとき」
誰もやさしい贈り物を捧げてくれなかった
男たしは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

**「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」
ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて(中略)
初心消えかかるのを/暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

***「倚りかからず」
もはや/できあいの思想に倚りかかりたくない(中略)
もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすればそれは/椅子の背もたれだけ
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(ひと口メモ)

*戦争への怒りを謳った「わたしが一番きれいだったとき」は、
中学校国語教科書にも掲載されているほどで、異色なのは、
反ベトナム戦争運動で知られるフォーク歌手ピート・シガーが
「When I was most beautiful」のタイトルで作曲している。

**コラムニスト・天野祐吉氏が茨木のり子を語る講演会にて、
「末節の『ばかものよ』は他人でなく自分に対しての言葉で、
最後までこの言葉を入れることを悩んだ」というエピソード
を披露。その上「『ばかものよ』の言葉がこの詩が持っている
"命"だと思う。最後にあることで作品全体を素晴らしくさせる」
と付け加えたのは天野氏らしく、まったくもって同感している。

***誰もが、肩書き、地位、財力、親の七光り、学歴、
そして他人の思想によって、いわば人生観まで人のものに
よりかかって生きていて、それを何ら怪しもうとしない。
それでいいのか、と詩人はキッパリと問いかけてくる。
が、表面の厳しさだけでなく、弱い人間に対する愛に満ちている。




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★現代の女性詩人の中で最も人気のある1人、
茨木のり子の詩を一度は目にしている人も、きっと多いはず。

戦争体験を終始手放さず、宇宙の漆黒を見るような
詩人の凜とした生き方には、水やりのように心に響いてくる。
ぐうだらに弛緩したその日暮らしを送っている私は、
とりわけ、どやしつけられたような気がしてならない。

さらには、50歳になってハングルを学習しはじめて、

思索の傍ら韓国を何度も訪問、韓国の現代詩作を翻訳した
『韓国現代詩選』を著したのに心打たれ日を思い起こす。
茨木のり子『ハングルへの旅』を手にしたのはその頃だった。

「日本語がかつて蹴ちらそうとした隣国語)/(中略)
汗水たらしたら今度はこちらが習得する番です」
茨城のり子が急逝して8年、両国が「嫌韓」「反日」の
連鎖に揺れるいま、泉下で何を思うのだろうか。

7連ポートレート表紙!のリーフレットを
大切にしまって、2時間近くの道のりから帰っても、
茨木のり子の言葉が頭の中を駆け巡っている。

自己批判の精神を忘れかけた今の時代こそ、
もっと愛しまれていい、稀有な女流詩人だと思う。

























(↑世田谷文学館のファサード)

★茨木のり子
世田谷文学館 03-5374-9111 
〜6月29日(日)まで(月曜休館) 
交通:京王線芦花公園駅より徒歩5分、
JR荻窪、小田急千歳船橋よりバス便あり
http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html



















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