北にするか南にするか、あたかもサイコロを振るようなものだ。
ご用達の夜行鈍行列車「ムーンライトえちご」が新潟に着くと、
明けはじめた東の空が、「行け!東」と言っている。
ならば新津に戻っての磐越西&東線か、坂町からの米坂線しかない。
どうせ東へ行くなら、被災地のいわきまで届く磐越ラインかな、
という自己暗示をかけ、新津駅の案山子を速写、磐越西線に乗り込む。
3年前にも、この沿線を舐めるように案山子ハントしたのだが、
コメどころの越後なのに、1体なりとも発見できず、
もしや私の目が節穴?と危惧、メガネを新調しての再挑戦である。
が、あにはからんや、見渡すかぎりの越後平野は、
どう目をしばたいても、案山子どころかお百姓さんもいない。
案山子を求めて何千里、連日の東奔西走、、、夜行明けの
寝ぼけまなこに案山子は恰好の目覚ましになるのだが、さにあらず。
ウトウトしていると終点、"狐の嫁入り"で知られる津川である。
(中略)
・・・喜多方、会津若松、郡山、小野新町、いわき...延々と、
首を左右に振ってのエンドレスな案山子探しも
1体とて見つからず、首と肩と腰が同時多発的に悲鳴を上げはじめ、
もはや首フリ人形になった気分。うなだれるまま、
磐越東線から常磐線に乗り換ると、大海原が眩しいほど目に痛い。
15:30久ノ浜着。ここまで、新潟から9時間2分。
出発の新宿(前夜23:10発)から計算すると、14時間3分なり。
(こんな計算、やったこともない。ブログをはじめたせいで、
あ〜疲れる。列車に乗っている方がまだラクチンw)。
かくして、直前に投稿した被災地の「久之浜」を取材、
(鎮魂の町を歩く(vol.13)-1福島県いわき市久之浜)
上野着の常磐線最終列車を時刻表でチェックしつつ、
ふと車窓に目を遣ると、なんと案山子くん2体がいるではないか。
次の草野駅で降りて、ゲットするしかない。
車がぶっ飛ばすバイパス、砂利道、畦道、、、およそ1里ほどを
バッタよろしくすっ飛んで、辿り着くとすでに日没。
残照も刻々とキビシくなる中、銀塩ポジでの長時間露光、
段階露出で祈るように撮って、林檎マークの携帯にリレー(掲出写真)。
その間のロス6~7分を考えると、逆順ですべきだったか。
もし戦果ナシのオケラで帰ったとしたら、取材として禁のキン。
勤め人カメラマンだったら、即、クビの一日である。
駅まで小走りに走って、終電ギリギリの帰途。
汗でビショ濡れのシャツは、途中でとうとう我慢ならず...
アールのついたデッキ付近での早技の2~3秒なものの、
もし目に憚った方がいらしたら、ゴメンナサイソーリー。
家路に着くと、暦は疑いもなく翌日になっていた。
25時間余のうち、トータル乗車時間18時間35分、
被災地取材を挟んでの、弾丸ひとり旅ガラス・ジャーニー。
時の流れの忘れもの。愉しき哉、案山子ハンティング。
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★案山子160体が載っています!
「カカシバイブル」(東京書籍) →http://p.tl/A2Ne
「ピート小林と歩くこころの日本遺産 案山子」
(日刊スポーツ・アーカイブ)
*フェイスブックでも投稿しています。
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