2021/04/18

あれから半世紀、磐城高校グラウンド+

「2020年甲子園高校野球交流試合」

昨夏、耳慣れぬ名の下、センバツ代表校

磐城高校は3-4の僅差で涙を飲んだ。


時計を巻き戻すと、1971年・第53回

夏の選手権大会で、磐城高は大優勝旗を

0-1(唯一の失点)の最小スコアで逃した。


小さな大投手(エース田村)の名とともに

称賛され語り継がれた磐城高の名は、

私がいた米国・加州まで轟いたほどで、

以来、小骨がノドに詰まったように、

世紀をまたいでどこか気になっていた。


あれから50年、アポ取りして取材する

ことでもなく、風まかせの出た目で

町民バスに飛び乗る。居合わせた初老の

磐城OBは目を丸くして余所者を歓迎。

背を押されイソイソと磐城グラウンドへ。


野球部ならぬ野球クラブ?チームが

ハツラツとプレーしている。黄色い声の

声援も飛び交って平和な浜通りの光景。


丘を越えて磐城桜が丘高校へ足を延ばす。

東日本大震災復興祈念の枝垂れがいい。

桜ずくしの学窓、前身は由緒ある女子校。


「磐城」と「磐城桜が丘」が対戦する。

平がな名の“いわき市”にくみしない

磐城同士、桜がもたらす春の夢である。 






































































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