「2020年甲子園高校野球交流試合」
昨夏、耳慣れぬ名の下、センバツ代表校
磐城高校は3-4の僅差で涙を飲んだ。
時計を巻き戻すと、1971年・第53回
夏の選手権大会で、磐城高は大優勝旗を
0-1(唯一の失点)の最小スコアで逃した。
小さな大投手(エース田村)の名とともに
称賛され語り継がれた磐城高の名は、
私がいた米国・加州まで轟いたほどで、
以来、小骨がノドに詰まったように、
世紀をまたいでどこか気になっていた。
あれから50年、アポ取りして取材する
ことでもなく、風まかせの出た目で
町民バスに飛び乗る。居合わせた初老の
磐城OBは目を丸くして余所者を歓迎。
背を押されイソイソと磐城グラウンドへ。
野球部ならぬ野球クラブ?チームが
ハツラツとプレーしている。黄色い声の
声援も飛び交って平和な浜通りの光景。
丘を越えて磐城桜が丘高校へ足を延ばす。
東日本大震災復興祈念の枝垂れがいい。
桜ずくしの学窓、前身は由緒ある女子校。
「磐城」と「磐城桜が丘」が対戦する。
平がな名の“いわき市”にくみしない
磐城同士、桜がもたらす春の夢である。
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