久慈といえば、真っ先に甲子園の魔物を
思い起こす。1993年夏、第75回大会に
初出場した久慈商が、川上憲伸を擁する
徳島商を終盤まで7–0とリードしながら、
8–7で逆転サヨナラ負けを喫した試合が
脳裏に浮かぶ。「甲子園には魔物が棲む」
とよく言われるが、平凡なライナーを
濡れた芝生に足をとられた左翼手が後逸
する不運もあり、涙を飲んだ試合だった。
球史に残る名勝負、語り継がれる白球の
系譜の類いは、枚挙にいとまないほど
観戦してきているが、しばし、茫然自失。
小雨そぼ降る三塁側スタンド、甲子園の
カチワリ氷のように身体が固まっていた。
JR八戸線と三陸鉄道が交錯する久慈駅は
鉄路の要衝。流浪人とて、桜の春、案山子
の秋に、少なからずお世話になっている。
ファン全国区!という名物の久慈駅弁
「うに弁当」は今回もありつけず。きっと
永遠にオアズケが続くだろうが、味蕾が
決定的に欠如する私には悔しさもない。
コンビニの握り飯で日々の糧は、十分!
というオチにもならぬオチが付いて、
駅の周辺に眼を泳がせた。昔ながらの
駅前ビル、客待ちタクシー......不変で
変わらぬ景色がいい。願わくば、久慈の
高校が甲子園出場を果たせますように!
と願をかけながら、愛しき町を離れた。
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