ふと銅像に関心を持ったのは、今生きている人の数よりも、
昔生きていた人の数の方が圧倒的に多い! と気づいたからである。
列島を股旅する行き先々で多さまざまな銅像に出くわすが、
とりわけ二宮金次郎には昼行灯もジーンとくる。
ごく最近も、三陸の小学校・仮設住宅の軒先で出合った。
よく「人は人に学べ」と言うが、ならば今ある交友関係を
やたらに広げて首が回らなくなるより、先人、つまり辞世の人に
触れる方が安上がりで薫陶にもなる、の発想である。
それも偉人伝などの本でなく、公共の場で出し抜けにヌッと出会える
手っ取り早さと異次元の触覚が、何としても銅像のよさなのだ。
いま金次郎の伝記をひもとけば、節倹、殖産、町おこし、
実行主義、そして六百数十村を復興したという。
ふと、この国を覆う行き詰まり感と有様に目を遣れば、
自分以外のことにはまるで無意識の世相であり時代である。
本ならぬスマホや携帯を歩きながら見るご時勢を、
天上の金次郎が知ったら何を思うだろうか?
ながら本読みならずも、金次郎精神の継承は望むべくもあらずか。
そんな抗いがたい気分の日々でいると、
海外で篤志により金次郎像が建立されているという。
米国・ロサンゼルスのリトルトーキョー、ブラジル・サンパウロ…。
移民や渡来した日系人の遠い心の故郷であり、
日本人としてアイデンティティー、と察するに胸が熱くなる。
それはそうと、アメリカによる時の占領下時代に、
連合軍は二宮金次郎を「日本が生んだ最大の民主主義者」
と称して圧倒的な評価をしていたという。
1946 (昭和21)年から58年までの間、
日本銀行発行の1円札の肖像が二宮尊徳だった、
という歴史を、今もってかみしめたいと思う。
☆ピート小林と歩くこころの日本遺産「二宮金次郎」
→http://p.tl/lt5G
(日刊スポーツ・アーカイブ)
__________________
*フェイスブックでも投稿しています
★Welcome to the bar「B」@赤坂/金曜のみの勤務となりました
0 件のコメント:
コメントを投稿