JR東日本は、重い腰を上げて気仙沼線の不通区間・気仙沼ー柳津に
8/20からようやく代行バス(注*)を走らせると発表した。
震災から1年5ヶ月、間引き運転の代替路線バスで不便していた
地元民には遅すぎる措置だが、中でも、すし詰め状態の
"通学難民"を強いられてきた高校生には、まさに「渡りにバス」。
震災以来、長らく代替バスで我慢してきた高校生は、
気仙沼、気仙沼西、気仙沼向洋の三校合わせて、300人余。
ダイヤも増発される夏休み明けのバス車内には、
久しぶりに、元気いっぱいの黄色い声が飛び交うことだろう。
鉄路復旧との間で揺れるBRT(バス高速輸送システム)が
運行される年内までの暫定とするが(注*)、
地域民にとって、大きな朗報であることに違いない。
写真は、長らく当方の唯一の足でもあった代替路線バス
「ミヤコーバス」の当初に運行されたダイヤの一片。
あらためて、折れジワとメモ(自分でも読めない!)を見ていると、
余所者として運転手さんにお世話になった日々が
惨禍の光景と重なって、鮮烈に瞼の向こうに蘇ってくる。
「青春18きっぷ」の利用期間内(〜9/10)に、
柳津ー気仙沼を各停ごとに訪ねて、復興の様子を見てこよう。
*メディアによって、記事が抜本的が違うのはなぜなのか。
「代行バスvsBRT」の単なる表記違いとは思えず、報道不信に陥る。
msn産経ニュース→http://p.tl/3A6c
kolnet河北新報→ttp://p.tl/f2ra
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