同キャンペーンの駅張りポスターも多く見かけたが、
そもそも広告の送り手側が、報道される以上の大変な暮らしを
余儀なくされている東北の方々の気持ちに寄り添ったり、
少しでもチカラになりたい、という在るべき姿勢が、
この広告キャンペーンには感じにくく、もはや放棄している?
そんな疑問が消えず、別カットの写真を添えて投稿です。
「そろそろ被災地へ行きたいけどキッカケが...」と感じる
善良な市民の想いを、"観光"という甘い蜜で大義名分化させて、
自らの飽くなき利益に結びつける、送り手側の能天気さ。
まさに今在る日本の有り様が露呈されて、危機感を拭えない。
それは、正義とか善悪とか礼節...など受け手側の心情に息づく
ピュアな支援の意識とは乖離した発信側の思惑が、
広告という公の場で顕在することへの、大いなる危惧である。
「観光することが支援になる」という世の表層モードも、
流布された「絆」に疑問符が投げかけられたように、
ある種まやかしの体のいい言葉として、ほんとかな?と
利用者に見透かされているのが、現在の空気ではなかろうか。
そもそも観光によって地域が活性化、経済が潤う...の図式は
その恩恵が被災された方々に届くのとはイコールでない。
いわば観光産業の「儲けたい」の一心でしかなく、
あからさまに言うのも何だから、"活性化"と濁しているに過ぎな
ということが、もはや見破られていて、その証拠に、
一皮剥いた本心の「金が落ちた、金が落ちない」のが
迂闊にも飛び交っていて(笑)。この私も何度と耳にしたことか。
・・・という自明の現状に、まるで気付こうともせず、
旧態依然の姿で集客を輸送会社にすがる、お目出たい観光協会。
不通区間の早期復旧の明言(11年4月/前会長)を棚に上げ、
自社の湯水のような利潤追求にひた走る、殿様商売のJR東日本。
両者思惑の構図?が、こうも安閑として続くのであれば、
真摯に東北の、日本全体の未来はない、と思わざるを得ない。
広告ジャックされた車内ポスターに寸時でも目を遣る人はなく、
今の世間を反映したままの、電車内のよどんだ空気。
きっと空前絶後の膨大ボリュームで撮影された写真群と、
べルトコンベア式に生産されたであろう大量のポスターが、
私の好きな移動の時間と空間を心痛く占拠していた。
本来、人々の心に+プラスの指向で届くはずの広告が
必要悪にならないように、と祈るように願いつつ下車した。
*結びに、ご覧になった方も少なくないかと思いますが、
拙ない前投稿に昨夜半コメントされた宮崎基弘氏の発言は、
すこぶる同感する貴重な直言であり、ご本人の同意を得て
ここに再録させていただきます。ぜひ、輪を広げましょう!
↓
『広告のコピーは、背景をきちんと分析し、販売対象を明確に
しな
被
この夏、現地
なる思いです。この夏休みは繁忙期価格をはずしていただきたい。
一東北在
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