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映画監督・小栗康平氏の言を借りるなら、
“哀切と痛切”!が夕張の姿であろうか。
炭鉱で栄え衰退して財政破綻した史実が、
ご当地のめくるめく歴史の1ページが、
脳裏をかすめ針金入りの躰を縛り付ける。
石勝線夕張支線の乗下車を繰り返して、
エゾヤマザクラの撮影に没頭した歳月が
時空を超え花眼の奥に甦る。とりわけ、
昭和天皇も宿泊された街の迎賓館である
「夕張鹿鳴館」(旧・北炭鹿ノ谷倶楽部)、
滝の上公園の見事な桜美の設えと舞台が
瞼を焦がして時空を超えてワープする。
20数年もの歳月がアッという間に過ぎて、
「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」
を訪れたのが、つい半年前の昨夏である。
…というのに大好物のメロンはおあずけで、
ポカンと口を空けて“夕張ガイド冊子”と
にらめっこする朴念仁が再びこの地にいる。
花眼の目をシバつかせ深雪の夕張市街を
すってんころりん寸前......トボトボと歩く。
四半世紀前に目に焼き付いた映画の街―。
「ゆうばりキネマ街道」なる粋なネームと
心を奪われる絵看板が“夕張お上りさん”
の瞼を熱く焦がして止まず。封切り中だ!
見るぞ!四方八方、古今東西のめじろ押し
の名画が与太モン映画オンチの眼を奪う。
かつては11万人強の住民が暮らした夕張。
今では20分の1ほどの6,000人弱という。
廃墟同然ゴーストタウンと揶揄もされるが
栄枯盛衰は世の常。あの「幸せの黄色い
ハンカチ♪」のような追い風がいつかまた
夕張の地に吹くかは誰にも分かりやしない。
ご当地メロンのゼリー小袋を前に抱えて
後ろに流れる光景を目玉と躰に沁み込ませ
紅葉山駅へ向かうノスタルジジィが独り。
丸一日近く?お世話になった夕張バスの
ボディーに印された「YOU」は一体全体
何の意味だろうか?方々に当たってみたが、
“不明”のまま。YUBARIの"貴方"かいな?
夕張の“謎”を抱え込んで躰が余計に強ばる。
「北海道」の名づけ親であり「夕張日誌」
を著した松浦武四郎翁が存命であれば、
にわかに解いて開示…そんな疑問符?を
背負い哀切と痛切の青く白い地を後ずさり。
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