2024/02/21

夕張②ー哀切と痛切の街のいま

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映画監督・小栗康平氏の言を借りるなら、

“哀切と痛切”!が夕張の姿であろうか。

炭鉱で栄え衰退して財政破綻した史実が、

ご当地のめくるめく歴史の1ページが、

脳裏をかすめ針金入りの躰を縛り付ける。


夕張は、記憶をまさぐると3度目の訪問
ある。00年代、北海道を巡る桜撮影で

石勝線夕張支線の乗下車を繰り返して、

エゾヤマザクラの撮影に没頭した歳月が

時空を超え花眼の奥に甦る。とりわけ、

昭和天皇も宿泊された街の迎賓館である

「夕張鹿鳴館」(旧・北炭鹿ノ谷倶楽部)、

滝の上公園の見事な桜美の設えと舞台が

瞼を焦がして時空を超えてワープする。


20数年もの歳月がアッという間に過ぎて、

「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」

を訪れたのが、つい半年前の昨夏である。

…というのに大好物のメロンはおあずけで、

ポカンと口を空けて“夕張ガイド冊子”と

にらめっこする朴念仁が再びこの地にいる。


花眼の目をシバつかせ深雪の夕張市街を

すってんころりん寸前......トボトボと歩く。

四半世紀前に目に焼き付いた映画の街―。

「ゆうばりキネマ街道」なる粋なネームと

心を奪われる絵看板が“夕張お上りさん”

の瞼を熱く焦がして止まず。封切り中だ!

見るぞ!四方八方、古今東西のめじろ押し

の名画が与太モン映画オンチの眼を奪う。


かつては11万人強の住民が暮らした夕張。

今では20分の1ほどの6,000人弱という。

廃墟同然ゴーストタウンと揶揄もされるが

栄枯盛衰は世の常。あの「幸せの黄色い

ハンカチ♪」のような追い風がいつかまた

夕張の地に吹くかは誰にも分かりやしない。

ご当地メロンのゼリー小袋を前に抱えて

後ろに流れる光景を目玉と躰に沁み込ませ

紅葉山駅へ向かうノスタルジジィが独り。


丸一日近く?お世話になった夕張バスの

ボディーに印されたYOU」は一体全体

何の意味だろうか?方々に当たってみたが、

“不明”のまま。YUBARIの"貴方"かいな?

夕張の“謎”を抱え込んで躰が余計に強ばる。


「北海道」の名づけ親であり「夕張日誌」

を著した松浦武四郎翁が存命であれば、

にわかに解いて開示…そんな疑問符?を

背負い哀切と痛切の青く白い地を後ずさり。























































































































































































































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