2018/06/05

記憶の集積でしかない"シモキタ" 〜Whre are you now, Shimokita?〜

過ぎ去った時を感慨なくも感じるのは、
東京一円では「下北沢」("シモキタ")である。

鉄道の複々線&地下化×駅前再開発で
大揺れした末、"シモキタ"の現在地はどこ?
その未来はどこにか在る?とも思う。
-----"Where are you now,  Shimokita?"
"And where are you gonna go?"(w)

◎家出から、かれこれ四半世紀の間、
界隈に住んだ一介の"シモキタ"人種には、
行きつけの一杯呑み屋が廃業したり、
伝言板が消えてしまった以外、
街の変貌には(意外にも)懐旧の念はない。

そんな現象を、キタの下北半島ならずも、
列島の津々浦々で、どれだけ感情を
抱こうが なすすべもなく見送ってきて、
"シモキタ"にだけ贔屓できるはずもなく。

◎過去は、目の前に存在しないように、
日常とて、てんでに浮遊しているだけで、
掴もうとしている瞬間の一片さえも、
手のヒラの中でうごめく画面のごとく、
実体があるわけでなく白日夢のよう。

"シモキタ"がそんな言葉を放っている。

変わらないものは、自らに内在してきた
記憶の集積でしかない、のかものしれない。























































*アーカイブ「ピート小林と歩く こころの日本遺産」
〜場末の飲み屋は浮世の急所〜
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