20年前、パスポートにもらった本人のサインを
引き出しからひっぱり出して、しげしげと眺め入っている。
野球選手だけでなく、人間としても一流であり続けた
彼のサインは、今見てもとうてい18歳の署名とは思えない。
1992年9月4日、ところはソウル、東大門球場。
社会現象にまでなった甲子園(明徳義塾戦で5打席連続敬遠)に
いても立ってもいられず・・・好青年に間近で接したく、
ベンチに飛び込んでいただいたサインである。
色紙どころか、筆記具も忘れて、咄嗟にポケットにあった
パスポートの白ページを開けて、以下、問答の一部...。
◯私「1ファンなのですが、明徳戦で被った5連続敬遠に、
微動だにしない態度に感動、サインを頂きたくソウルに来ました」
◎松井選手「・・・えっ、パスポートにですか!?
ここに署名したら違法で、日本に帰れなくなりませんか...?」
◯私「いいえ いいえ、一生の宝モノですから!肌身離さずの
パスポート。日本の税関の方だって大喜びしますよ!」
弱冠18歳にしてこの気遣いと、名は体を現したような署名が、
桁外れの野球の技量ともども、本人を語るに余りある。
スポーツ紙の特集のみならず、一般紙がこぞって
一面扱いをする、王・長島と並ぶスターである証明だろう。
サインから数年後、好きな桜追いから迂回して、
石川県の根上(現・能美市)にある生家を訪ねたことがある。
「松井秀喜ベースボールミュージアム」の竣工まもなく、
ヤンキースに移籍後のホームランボールが眩しく飾られていた。
父親であり館長の昌雄氏が応対してくださった短い時間、
言葉の端々に「栴檀は双葉より芳し」という
昔ながらの語句がアタマの中をぐるぐる駆け巡る。
甲子園での息子さんの泰然とした姿への感動を伝えて、
後日、ソウルの地で静心なく活躍した写真を
本人へのメッセージを添えて、速達で送らせていただいた。
幕引きの松井選手の言葉からー
「もう少しいい選手になれたかもね...」
野球人である前に、紳士。
松井秀喜選手以上のアスリートを知らない。
((中段2点の写真は、『輝け甲子園の星』'98年SUMMER号
6Pの小コラム「甲子園グラフィティー」より抽出 (日刊スポーツ出版社))
☆補・ネット裏から捉えた松井選手の凛々しい写真@ソウルは、
「甲子園よ永遠なれ」9月7日付投稿で多数見られます。
☆補・ネット裏から捉えた松井選手の凛々しい写真@ソウルは、
「甲子園よ永遠なれ」9月7日付投稿で多数見られます。
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★甲子園―ジャパニーズドリーム!
もっと見る→http://p.tl/1bXc ピート小林と歩く「こころの日本遺産」 (日刊スポーツ・アーカイブ)
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