甲子園フリークの輩、“敦賀”の名を聞けば、
敦賀気比なる高校名を反射的に想起する。
そもそも福井代表といえば、戦前は敦賀商
(現・敦賀高)、戦後は福井商が真っ先に
挙がるが、近年では2015年春のセンバツで
優勝したことも作用して、敦賀気比の名が
甲子園に轟くと言っても過言でなかろう。
近代史では第二次世界大戦中の1940年代、
“東洋のシンドラー”と呼ばれた時の外交官・
杉原千畝を想い起こす。ナチス・ドイツに
よって迫害された多くのユダヤ難民に対して、
「命のビザ」を発給、上陸した日本の港が
敦賀…という史実を折につけて見聞しており、
記念の館「敦賀ムゼウム」をぜひ訪ねよう。
◎「Turuga Museum」 (敦賀ムゼウム)
◎ 「杉原千畝記念館」(生地・岐阜県八百津町)
https://www.town.yaotsu.lg.jp/sugihara-museum/
「北陸フリーきっぷ」なる4日間乗り放題の
最終日。かの小浜線からの帰途、車両故障に
加え鹿との衝突が発生、敦賀駅手前で運行
ストップの憂き目に。余裕で接続したはずの
北陸新幹線@敦賀駅での上りの最終列車に
間に合わず、帰宅不能。敦賀泊の羽目に陥る。
*国鉄が用意した駅前の商用ホテルの一室に
閉じこもり、夕食もそぞろに一夜を明かした。
ま、日本列島・離島を含む全47都道府県へ、
春の桜と秋の案山子の追っかけで、時刻表を
マクラに1991年からシームレスで撮影して
きた身。まあ35年もの間、一度たりも延泊を
体験しなかったコトが、むしろ稀であろう。
翌朝、かつて厚遇を頂いた駅前の珈琲店で
♪モーニン’サービスにありつきたく勇んで
向かうも、無情にも本日定休日の札が眼に。
また来るぞ、敦賀。Until we see you again!
注:*国鉄=(現)JR
ハミ出しこぼれ話:
1980年代に英国に移住・現地で生け花(華道)を
教える童の頃の学友が、日本に里帰りした際に
迷子になって……JR川崎駅の所在を知りたくて、
「すみませ~ん、国鉄の川崎駅はどこですか?」
と通行人に尋ねたら、――「国鉄!!だってさ、
あんたそれでも日本人か!?」と公衆の面前で
ゲラゲラ物笑いにされて...“二度と日本に帰らな
いわ”と私に言い残して、泣く泣く英国に戻った。
このことを思い出す度に怒りが込み上げてくる!
(注) ↓ 過去のイベントのフライヤー
敦賀駅前「Pine」珈琲店
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