2020/04/26

桜股旅2020フィナーレ、「イシノマキマキ」の巻

GWにかけ25年ほど通う「桜の弘前公園」が
完全封鎖され、桜股旅2020年のゴールは、
私が独り“イシノマキマキ”と呼ぶ「石巻」だ。

この地には、特別な感情も少なくなく、
桜への想いもそれをトレースするごとくで、
訪ねるたびにココロときめく発見がある。

NYマンハッタン島の地形の相似から名付いた、
「石ノ森萬画館」の島“マンガッタン”は、
ギネス級を超えたネーミング。宇宙船みたいな
フォルムの下に咲く桜の若木が微笑ましい。

白昼のド真ん中、ヨタヨタと歩いていると、
倒錯? 否、半倒れのBar看板にゾッコン釘付け。
が、心知らずのツマ先が、界隈に異彩を放つ
桜へ「早う 行こ行こ!」と疼きながら急かす。

お初の遭遇、この上ないほど丹念に手入れされ、
清楚で麗しい枝垂れ桜たちが古刹を彩って、
「ようこそ、いらっしゃい」と先の小学校で
萎えた我が身を癒すように迎えてくださる。

トリと呼ぶべき真打ちは、桜の日本庭園で
知られる旧家・秋田屋の裏手の“マイサクラ”だ。
勝手知ったる歓楽街の辻をすり抜けると、
大好きなトタン小屋とコンクリ壁のツルに
絡みつゝソメイが今年もシレッと咲いている!

し・か・も、ピッカピカの復興公営住宅を背に、
秋田屋お手植えのシダレも顔をちょこんと
見せてくれる。“自粛”が全国発令された前日、
荒凡夫の素浪人にも眼福をお裾分けくださって、
ありがとうイシノマキマキ!Thanks a million!

(*投稿日は撮影日と異なります)






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2020/04/25

9年の歳月、「万石浦小学校」と仮借なき素浪人

3/11付のメモリアル小投稿*で触れた、
石巻の「万石浦小学校」をようやく訪ねた。
*https://bit.ly/3faMrcM

津波の犠牲になった米国人女性の先生が
英語の指導にあたった小学校である。
あの年から、継続的に石卷の地に通いながら、
気になったままで後回しになっていた。

“Time and tide waits for no man”
(歳月、人を待たず)
あっという間に、9年もの月日が流れて、
箴言のようなフレーズが胸に去来する。

石卷を、日本を、こよなく愛していた女史は、
桜が好きだったのだろうか。校庭の桜に
問いかけるも無言のままで、養生も無いまま、
てんでに寂しげな姿を見せて咲いている。

「ずいぶん遅いじゃない!何やってたんだ!
10年近くも!路頭に迷っていたんかい?」
女王然としたソメイの大木が問い詰めてくる。

反射的に、畑向こうの半散りのヤマザクラに
目を転じると怖い顔して睨み付けてくる。
嗚呼。仮借なきを命じて出直しするほかない。
石コロを蹴飛ばして、立ち去る素浪人...。

「テイラー・アンダーソン記念基金」
「Taylor Anderson Memorial Fund」
http://tamf.jp
https://www.facebook.com/tamfjp/

(*投稿日は撮影日と異なります)















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2020/04/24

「野蒜とふ愛しき地名…」御歌碑とB.リーチの言葉

旧野蒜駅に隣接する「復興祈念公園」は
何度目かだが、被災地に心を寄せる
上皇后さまの詠まれた歌碑に沁み入った。

—「野蒜とふ愛しき地名あるを知る
被災地なるを深く覚えむ」という御歌で、
御所で摘んでいた多年草の“ノビル”と
同地名を重ね合わせた—と刻されている。

「復興祈念公園」の案内板、駅ホームを
見遣れば、数年間、仙石線「代行バス」で
足繁く通いつゝ発信してきた日々が蘇る。

「東松島市震災復興伝承館」の紹介も、
今回は留めて、削られた山肌に咲き乱れる
“ヤマザクラ”のことを書きとどめよう。

「大気には春の気がこもり、山には桜が
咲いている」の佳言で日本の春を愛でたのは、
陶芸家「バーナード・リーチ」だが、
きっと“ヤマザクラ”を詠んだに違いない。

名桜と称される桜も、名もない路傍の桜も、
花の咲き誇りは、それぞれに美しい。
高名無名に拘わらず、この地球上の人間に、
そう、貴賤がないように、桜にも貴賤はない。

*東松島市観光物産協会
https://okumatsushima-kanko.jp

(*投稿日は撮影日と異なります)


















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2020/04/23

鳥居と桜の日本詣、「野蒜」の名もなき神社とは

壊滅的被害の沿岸部から一部を内陸側へ移設、
2015年5月に全線開通した「仙石線」は、
東北沿岸で最も多く利用してきた路線である。

長らく利用してきた沿岸の旧ルートを走る
「代行バス」とは、180°違った光景を目にして、
“仙石線お上りさん”感覚は今だに消えない。

代行バスでの月日もそうだったように、現在も
少なからず訪ねる地は、野蒜(のびる)である。
例によって、行きつ戻りつする車窓ロケハンから
胸ぐらをギュッと掴まえられたのは、またもや、
ミニチュアのような赤い鳥居と桜のセットだ。

後ずさりはバチが当たる、御利益も逃げる。
前出の「森の学校」を後に、人っ子ひとりいない
里山を下って、藪を掻き分けて辿り着けば、
鳥居も桜木も、ま、フォトジェニックであるが、
どう撮ろうが、鳥居も桜もイデタチを代えぬ。

呼びたい社名の手がかりも無いまま突っ立って、
桜の梢に聴こうが、風音がヒューヒューする
だけで教えてくれない。やおら重い腰を上げて、
Gの名の付いた博士に思い切って尋ねてみる。
虫眼鏡でやっとこ読めるほどのちっぽけな字で
「明神神社」とある。ボンクラにありがとう!
「野蒜」という在所の氏神、産土神であった。

(*投稿日は撮影日と異なります)








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2020/04/22

復興のシンボル、ニュー野蒜の「宮野森小学校」

新しい野蒜の丘が陽光にキラキラと輝いている。
里山の樹木と桜に囲まれた「森の学校」は、
目にもやさしく、ユニークな光彩を放っている。

作家・環境保護活動家のC.W.ニコルの率いる
「アファンの森財団」の協力によって、
野蒜ケ丘に2017年新設された「宮野森小学校」。

大震災後に閉校した野蒜小学校と宮戸小学校を、
また訃報に接したニコル氏を偲ぶ意味でも、
不束な身の背筋をシャキッと伸ばして寸時の間、
桜木がスクスク育つ学舎を目に焼き付ける。

「アファン」とは氏の出身地・ウエールズの
言葉で「風の通るところ」の意味である。
これを機に、隣接する「復興の森」をはじめ、
東松島の自然を活かした学校と野蒜ケ丘の
輝ける未来の姿に眼差しを向けたい、と思う。

*C.W.ニコル・アファンの森財団
https://afan.or.jp

*東松島市観光物産協会
https://okumatsushima-kanko.jp

(*投稿日は撮影日と異なります)







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2020/04/21

フミキリストならぬカメラ小僧、「赤井南小」の桜

“鉄ちゃん”でも“フミキリスト”でもなく、
いわゆる「鉄分」は薄め!の輩だが、
桜の踏切・線路際の学校はなぜか足が向く。
トタンのブツなぞが在れば、小躍りだ。

「赤井南小学校」は、女川への往路車窓で
ふと気になって、復路ではヒタイをドア窓に
引っ付けて目ン玉を開放値にして凝視。

持ち時間30分。最寄りの陸前赤井駅から
ダッシュでの撮影だったが、張り巡らされた
工事フェンスで撮れる位置も限定され、
結果、車窓からのも案配よく召集できた幸。

ちなみに、花見ドライブには絶好日和も
至るところが通行止め、迂回するクルマが
羨望の眼差し(?)をカメラ小僧に向ける。

「いい陽気だね。何さ撮ってるのか?」
「校庭のサ・ク・ラ、咲きっぷりよくて!」
「???...石卷の日和山、行ったか?」
「ええ、この後に。アリガトゴザイマ~ス」
見知らぬ地、こうした花見会話が愉しい。

ここ赤井は、雪とミゾレに凍える冬の夜、
何と被災された方がご好意で住家の床の間を、
与太者に授けてくださった、忘れ路の地。
何のご恩も返せぬまま...すでに数年の月日。
瞼の向こう、優しいご家族の顔姿が浮かぶ。

(*投稿日は撮影日と異なります)














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2020/04/20

“復興のトップランナー”、震災遺構の交番「女川」

早くから“復興のトップランナー”と称されて、
各地からの見学者も絶えない牡鹿郡・女川。
この日は、深夜バスを乗り継ぎ女川入りした。

9年の年月を経て、横倒しの当時の姿のまま、
“震災遺構”としてこの春に公開された旧女川交番。
このブログでも交番のある光景を上げてきた。
(参考写真⑤:2019年12月取材)

鉄筋コンクリート造の建物が津波で倒壊した
世界的にも珍しい事例とされてきたが、
遺構へのきっかけは、“女川に残された建物を
「原爆ドーム」のように残したい”という
町内の中学生の声が生かされた、と伝え聞く。

スロープを周ると、おや、白っぽい桜が
建物底部の脇から咲いているではないか!?
(シロヤマザクラか、オオシマザクラか?)

復興への願いを込めて町民がこの春に植樹した
桜木で、ウチの1本は津波で被災しながら、
すぐ春に花を咲かせた“津波桜”(命名)だという。





(公開3ヶ月前の「旧女川交番」2019.12)

町の鳥・ウミネコと町の花・桜のマンホールに
目が洗われて、桜を囲むシーパルピアから
望む女川駅舎(知己のある坂 茂の設計)と丘が
夜行バスでの眠気を吹き飛ばしてくれる。

女川→矢本→野蒜→浦宿と巡り、夕暮れに
辿り着いた、桜の「旧女川第一小学校」。
閉校・合併を惜しむかのように、この春も、
寂しげに花を咲かせていた。(写真⑧〜⑩) 





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