2014/01/31

「WE♡女川」のいま(宮城県牡鹿郡女川町2)

「女川は流されたのではない
新しい女川に生まれ変わるんだ
人々は負けずに待ち続ける
新しい女川に住む喜びを感じるために」

横転したビル・江島共済会館の横、
女川町震災復興事業の看板に力強く印された
女川町民の言葉が寒風の夕空に響く。

東京がオリンピックだ、景気高揚だ...と
浮かれている間にも、すでに忘れられかけている
東北の地の復旧・復興への槌音が轟いている。

震災前は1万人の人口を擁した女川町。
町役場を含め市街地の7割が流出、
人口流出率で宮城県トップを走る女川(現在は7000人台)。

住宅エリアと公共施設は高台に移転、
沿岸部は観光交流エリアとする壮大な復興計画
「1000年に一度のまちづくり」が、
UR都市機構とのパートナーシップで始まっている。

ふたたび看板を仰ぎ見る。
「WE♡女川」
「とりもどそう 笑顔あふれる 女川町」

























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2014/01/30

がんばっぺ女川!とマンホール(宮城県牡鹿郡女川町)

仙台から女川に入るには、東北本線の小牛田経由と
仙石線で石巻を経由して行く2通りがある。
私の場合は、代行バスを2回乗り継がなくてはならない、
より時間がかかる後者のルートにしている。

仙台ー(仙石線)ー松島海岸ー(仙石線代行バス)ー矢本ー
(仙石線)ー石巻ー(石巻線)ー浦宿ー(石巻線代行バス)ー女川、
という乗り換え4回・4時間を要する路線だが、
仙石線は海岸沿いを走るので、津波で甚大な被害をうけた
東名、野蒜などの東松島エリアが車窓から臨める。

その女川。かつてアチコチにはためいていた
「がんばっぺ女川!」のノボリだが、
今回は女川建設組合の看板でしか目に入らなかった。
が、それだけ復興が進んだと思うのは早合点で、
復旧の段階であることは、現地に入れば一目瞭然である。

震災直後の女川は、道という道が壊滅状態で
石巻からの代行バスも町の手前までしか入れなかったが、
鉄道が渡波、そして浦宿まで段階的に復旧。
来春には、高台にできる女川駅までつながる報を
ミヤコーバスの誘導員の方から聞けた。

寒々とした仮設の「きぼうのかね商店街」と
「きらきら・いきいき・港 女川」と刻されカモメが飛ぶ、
津波に耐えて残っているマンホール。
「がんばっぺ女川!」に声援を送らずにはいられない。






















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2014/01/29

ノーコン暮らしとブリキの湯たんぽ (Jan. 29, 2014)

野球のピッチャーのノーコンにあらず、
エアコン無し、ガスコンロ無しの「ノー"コン"暮らし」と言ったら、
ある方に「でも、"コン"ピューターがあるじゃない!」
と返されて、なあるほど、お世話になっていま〜す、PCクン。

というわけで、起きている間は、いや寝ている間も
湯たんぽを手放せない日々が続いている。
幸いに水道の蛇口をひねるとお湯が出てくる仕組みなので、
1日に3回ほどはあったか〜い湯に入れ替えている。




















暖をとるといえば、窓にぶら下げたふんわり毛布もそうだ。
カーテンよりも冷気の侵入を防ぐのでありがたい。
そういえば公団の部屋って、どこも同じような造りなのに、
窓のサイズがなぜか違っていて、カーテンの使い回しが出来ない。
カーテン屋と結託でもしているのか、と疑ってしまう。

ブリキの湯たんぽと、ふんわり毛布に感謝する冬。




















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2014/01/22

お辞儀からお詫びへ?JR札幌駅

30度の角度で敬礼する乗務員の「お辞儀」が
いま見ると「お詫び」のように見える!?
いえいえ、お辞儀のはずがお詫びだった!?

そんな目の錯覚を覚えずにいられないほど、
組織的・常態化したJR北海道のレール数値改ざん問題。
醜態の報道がいまも延々と続いている中、
写真って皮肉なもの、と思わずにいられない。

この写真は、北海道の桜に惚れ込んで、
撮影のため北の大地を1998年から10年ほどの間、
鉄道で駆け巡っていた時に撮ったもの。
駅ホームで特急を見送る、レディたちの麗しい姿である。

そういえば、当時のJR北海道のサービスは、
快適で素晴らしいものだった、という記憶しかないが、
目に見えないところで隠蔽があったと思うと
節穴だった我が目を恥じるしかない。

国鉄がJRに民営化した1987年以前の北海道は

未踏だったが、鉄道地図はいやおうにも想像力を刺激する。
上から順に、東京オリンピックが開催された1964年、
16年前の1998年、そして2014年の現在である。
現在の地図が右下がりにかしいで見えるのは、気のせいだろうか。

2016年春には、いよいよ北海道新幹線が
函館までの区間で開業するという。
それが、にわかには信じられない有様である。



































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24日(金)、ピート小林は休ませていただきます

2014/01/16

五輪に沸く東京と忘れられる東北 (Jan.16, 2014)

寒中お見舞い申し上げます。

小正月、頂戴した年賀状への返礼をしたためる前に、
ここ1〜2日の朝夕刊の中で、気に入った記事を上げてみる。

今日1月16日付の「天声人語」(朝日)がとりあげた
学生短歌コンテストにいつもながらハッとする。
正式には「東洋大学 現代学生百人一首」という名だが
今年も力作揃いで、柔らかい感性に感じ入る。

いちばん目を射ったのは――――
〈東京に五輪誘致で笑顔咲くその笑顔の輪いつ被災地へ〉
(記事中の赤傍線・岩手県の高校3年生、田口諒さん作)

東京のオリンピック誘致と東北の被災地の思いを
シニカルでなく素直に表していて、ハタと膝を打つ。




















昨日1月15日の文化面(朝日夕刊)に載ったドナルド・キーン氏の
「高揚する東京の街 東北もう忘れたか」と題された
インタビューの記事は、日本文学者らしく滋養に溢れていて、
一言一句を読み耽った。結びの部分を引用してみる。

「被災地ではまだ仮設住宅で生活している人がいます。
東北の人口がどんどん減っている。その一方で東京の街は明るい。
みなさん、東北を忘れているのでしょうか」

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2014/01/07

あらたまの年に (Jan.7, 2014)

お屠蘇も、お節も、七草粥も縁のない輩だが、
旧知の方々からの賀状を手に、人に幸あれと新年を思う。

あらたまの年、松の内も明けるころに免じて、
膨らまずとも萎む我が心を鼓舞すべく、
かつて手がけたシリーズ広告の一葉に目を落とす。

寒気の中にも明るい日差しに萌える春を感じて、
まだ真っさらな手帳に何を記そうか。

来し方と行く末に想いを馳せる日溜まりである。




































*投稿の広告は、1991年1月1週、新聞1ページに掲出された。
 広告主:ジャガージャパン(株)
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2014/01/01

HAPPY NEW YEAR 2014

























星を見上げ
  夢を見る人
         見ない人

今年もどうぞよろしくお願いいたします

ピート小林