2019/01/30

「震災遺構」大槌旧庁舎が霧散していく

三陸海岸からの強風が吹きすさぶ中、
目の前で重機がうなりを上げては
「震災遺構」を否応なく壊していく。

全国ニュースで広く取り上げられ、
このブログでも何度か触れてきたように
保存か解体かを巡って揺れ動く
岩手県上閉伊郡大槌町の旧庁舎である。

10日前に始まった解体工事も半ば、
解体は2月上旬に終えて、基礎の撤去後、
3月上旬には整地され跡形もなくなる。

折しも全国紙の長期連載「てんでんこ」で
地域ジャーナリズム「大槌新聞」が
取り上げられているが、震災証言資料を
役場職員が廃棄したという、我が目を疑う
ような事実が次々と露わにされている。

物事がウヤムヤにされるこの国で、
1人のジャーナリストが身体を張って、
取材・編集・発送する大槌新聞に
遠くからでもエールを送っていきたい。

大槌新聞
http://www.otsuchishimbun.com








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2019/01/17

1995.1.17.5'46"から24年@"初"首都圏での追悼

あの刻の8時間前まで、私は関西の地にいた。
1995年1月17日(火)5時46分、阪神・淡路大震災。
大阪・都島の友人宅を後にしたのは前夜だった。
竣工間もないレンゾ・ピアノ設計の「関空」見たさの
一心が通じてか、最終便のラスト一席が取れた。

翌朝の出勤前、TVに映る映像に我が目を疑った。

10日後の週末、JR芦屋からひしゃげた線路を横目に
国道43号をジグザクに西の方角へひたすら歩いた。
ダミ声を飛ばし会う同行の戦友とは一声も交わせず、
写真機のシャッターには触れも出来ず、だった。

10数km先の三ノ宮まで地べたを這いつくばって
歩んだ記憶しかない。全壊・半壊した家屋に
かけられた夥しいブルーシートが脳裏から離れない。

遅かりし!首都圏で"初"の「1.17」慰霊・追悼式。
午後5時46分、集ったわずかな200人ほどが
鎮魂の神戸の地とインターネット中継*されるなか、
1.17を型どるキャンドルを見つめ黙禱を捧げた。
((*写真①:ゆらゆら映る""は1.17の尽きせぬ想い。
3.11で生まれた言葉が遠いこの地で生きているのだ))

あれから24年。2020年の新年は四半世紀になる。
1.17に相対する下僕の負い目は行く末も消えない。

その戦友とは、東日本大震災後ほどなく、別々ながら
被災地(石卷〜女川)を互いに訪れ...16年(当時)経た
「阪神・淡路大震災」と直近の「東日本大震災」を
交叉させ語り合う段だった。が、矢先に生命を失った。

あれから8年。人世、叶わないことは少なくない。





















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2019/01/13

霧の抵抗@「Art Tower Mito/水戸芸術館」〜1/20まで

100mタワーがシンボルの「水戸芸術館」は
磯崎新アトリエ設計ということもあって
関東でも好みの美術舘。「青春18きっぷ」を
利用して、ふと思い立ったように訪ねる。

“霧の抵抗”(RESISTANCE OF FOG)と題された
「霧の彫刻 中谷芙二子」展は脱美術館的で、
自然と人間、気候変動、はたまた世界のもろさを
移ろう“霧”の人工的な姿で示唆的に問いかける。

霧のインスタレーション<フーガ>(写真①と
愛する霧の街・サンフランシスコを彷彿させる
霧の彫刻「シンコペーション」(②)に魅入った。

ミュージアム・ショップ「コルトルポアン」は、
あの「ナディッフ」のショップだけに充実。
Ex企画展「3.11とアーティスト│進行形の記録」
の図録(⑤)を特別価格で購入。ファン度が増す。















































■水戸芸術館・企画展
「霧の抵抗 中谷芙二子」~1/20(日)
goo.gl/oe6Abj
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2019/01/03

富岡アクセス復旧!から14ヶ月...正月景

桜好きには見事な並木「夜ノ森」でとみに知られる
福島県・富岡町。避難指示が半ば解除されつゝあるが、
まだ住民の5%強の1,000人弱しか帰還していない。

常磐線・竜田ー富岡のレールが2017年秋に復旧して以来、
「浪江」以北の浜通りへの行き来が数回になり、
さて、浪江への代行バスを1~2本見送って海岸へと歩く。

「こわれた人工リーフをなおしてします」看板が目に入る。
人工リーフ?ハテナ?とGoogleセンセに尋ねるや、
「海岸保全施設」の“潜堤”ときた。センテイ?かいな。
カタカナも漢字もヨワい輩には“リーフ”はとんと?である。

すっかし、高波、ひいては津波からの被害を防衛する
護岸工事の一種......いくらトーシロ(素人)でも想像できる。
ほどなく防護柵パイプのキャラ支柱(?)に眼を奪われて、
さて、防潮堤の進捗状況を尋ねたくも工事のヒトがいない。

...もしやカメラが教えてくれるかも!と幻想も甚だしく
レンズを向けまくる。"アホかいナァ?と上空の鳥が啼く。

気が遠くなる長きにわたる沿岸復興工事。正月ぐらいは、
オイラ娑婆ビトの何倍でも何十倍で〜も休んでください♪








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