2022/09/28

♬黒い花びら!?永遠の西鉄ライオンズ・池永!

「西鉄ライオンズ」伝説のエース池永正明の

訃報に接して一昼夜、心が痛み入っている。

半世紀余前、野球界を揺るがせ社会問題にまで

なった八百長疑惑「黒い霧事件」に巻き込まれ、

何と永久失格処分に甘んじた池永。あれから

幾星霜…35年後に解除&復権――報道は伝える。


下関商時代の2年春・甲子園V、夏・準優勝!

巨人、南海との争奪戦を経て、ライオンズへ。

5年で103勝を達成!あの鉄腕・稲尾からも

太鼓判を押され、同期のジャンボ尾崎にプロを

諦めさせたほどで、幻の300勝投手!として

オールドファンの誰もが知る球界の至宝だった。


自身を顧みると、幼年時から西鉄ライオンズの

筋金入りファンだというのに、当時、野球を

はじめ日本情報は皆無に等しい米国で棲息した

ため、ジパングの事件を知るよしもなかった。


帰国後、スポーツ紙を貪るように捲っていると、

「黒い○ナントカ」が目に飛び込んだ。瞬間、

♪「黒い花びら」(水原弘の大ヒット曲/第一回

日本レコード大賞)が何かまたしでかしたのか!

とワクワク半分、ギモン半分......やゝあって、

霧って黒だっけ!と意味も?でしばし自問自答。

あの天才投手・池永に!と震撼した日を忘れない。


永久追放になった選手の多くが行方をくらます

ケースが多い中、自身の無実に確信を持ちながら、

営まれたライオンズの地元・博多中州のバー。

会いに訪ねよう!と思ったのは、ちょうど閉店の

後だった。人生はいつも、ちょっと間に合わない。























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2022/09/25

ノーモア・ヒロシマ=原爆ドームへのオマージュ

山陽路をひた走る山陽本線で移動する際、

さしずめ1時間ほどのスキがあれば、

広島で下車。そう、原爆ドームに立ち寄る。

 

原爆投下から77年。先立つ九州滞在では

ナガサキ平和公園の再訪が叶わずにて、

夜明けからヒロシマ行に心身が疼いている。


博多、門司、下関、徳山、岩国、宮島口...

東進するにつれ、120万都市・広島の街が

輪郭を帯びてくる。最寄り駅の横川を見遣り、

大工事中!の広島駅から訪ねることにする。


路面電車で20分。小雨そぼ降るドームは、

抑えめな電飾下、ザワザワ威光を放っている。

煙雨の川の向こうに佇む平和記念資料館は

夜の帳の中。我が記憶の中でシンクロさせる。


*下画像は、九州行きに先だって鑑賞した

大貫卓也展「ヒロシマ」より抜粋したもの。







































































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2022/09/23

狭い日本、そんなに急いでどこへ行く=西九州新幹線

昭和の時代、こんなフレーズが口づさまれたのですが、

(1973/昭和48年の全国交通安全運動の標語でした)

西九州新幹線の武雄温泉↔長崎の区間が本日開業した。


計画当初の1985年時のルートでは佐世保市の早岐を

経由するルートであったが、複雑な経緯・変遷を経て、

諫早ルートで出発進行。この半世紀の間、報じられ

てきた長崎県と佐賀県の思惑をよそに、在来線特急と

のリレー方式で、現行・特急かもめよりも30分ほど

短縮されて最短1時間20分で博多↔長崎を結ぶという。


1964年の東京五輪直前に開業した東海道新幹線以来、

ほとんどシンカンセンに縁がない下僕のやっかみを

置いておいて、どれほどの方々が長崎新幹線の恩恵に

預かれるのだろうか。否、それ以上の方々の生活と

移動の足が奪われる!と想像するだけでも胸が痛む。


忘れ難いのは、東北新幹線(1982年)、長野新幹線

(1997年)の開業でルートからはじかれた黒磯(栃木)、

小諸(長野)が被った同様の憂き目。“我田引鉄”と

揶揄される如く政治的な思惑で梯子を外されたのは

明白で今回も同様のテツ––––歴史は繰り返される。


さて、自身、この夏の九州行で長崎詣を予定するも、

思わぬ出来事で棚上げの憂き目に。遠くない内の

リターンマッチでは、博多–平戸–松浦–佐世保ルート

で長崎入りしたい。言うまでもなく在来線である。


*(画像6)

これがホントに普通列車!?と思わせるほど、

シートさえ快適な車内。これ以外、何を望もう。


































(出典:国土交通省)


















 






















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2022/09/21

Sorry for late ! 柔道家「牛島辰熊」 墓参

(個人的な投稿です)

先ごろの阿蘇・熊本行の主目的は、ルーツの

阿蘇神社と火の国・熊本が生んだ戦前最強の

柔道家・(叔父)牛島辰熊の墓参だった。溯る

初夏に弟子・親族が会した墓碑の“除幕式”に

やんぬるかな唯一参加できず、ようやく以て

大遅刻ながら単独で敢行したもの。全て勝手

の違う肥後の国、雷轟く土砂降りと瞬く間の

暗闇に道程を失し挫折。あえなく退散、場末

の定宿カプセルに延泊。これぞまさしく天罰、

忸怩たる2日がかりの墓参と相成った熊本詣。


□画像

(1-5):牛島辰熊画像と墓参フォト

(6-11):未明まで彷徨した熊本ネオン街 

(12-17):翌朝ほっつき歩いたシラフ街景 



●「牛島辰熊」(抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/牛島辰熊

(画像はこちら) 牛島辰熊

『志士牛島辰熊伝』

https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN10740712?l=en

(→日本の古本屋etc)

YouTube動画多数




参考文献:

大宅壮一ノンフィクション賞/新潮ドキュメント賞

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)

~「牛島塾」で特訓を受けた木村政彦との師弟愛~

https://ja.wikipedia.org/wiki/木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか





































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2022/09/18

Long time no see!豊肥本線

台風14号の接近に伴う鉄道運休のメディア報道は、

在所でないと九州新幹線をはじめ新幹線のみで、

在来線の状況は、ネット接触をしないと判らない。


新幹線を鉄道のアイコンにして久しいこの国だが、

(ワタシを含め)ほとんどの人は新幹線に縁が無く、

在来線が生活・移動の足という現実が棚上げされる。


2016年4月の熊本地震から4年余の不通期間を経て、

20年8月に復旧したJR豊肥本線もその一例だろう。

豪華クルーズトレイン「ななつ星in九州」や、

九州横断特急「あそぼーい」が阿蘇カルデラ帯を

周遊する九州屈指の観光路線でファンも多いが、

ローカル列車を愛する下僕はまるでお呼びでない。


復旧後、はじめて乗り込む宮地駅から立野駅の

三段スイッチバックまでの雄大な車窓景色を堪能、

熊本までの在来線ならではの旅路が沁み入った。

そして、23年夏の全線開通を予定する第三セクター

「南阿蘇鉄道」立野~中松間の復旧が待ち遠しい。


((言い訳を承知の上だが、Covid-19以来の2年余、

豊肥本線ならずも九州はご無沙汰の輩にて、深謝))









































































































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2022/09/12

『日本一からの招待』仙台育英を訪ねて

甲子園・優勝校をはじめ、気になる高校の

グラウンドを訪ねる性癖がなぜかある。


記憶に残るだけでも、桐生一(群馬・1999)、

常総学院(茨城・2001)、星稜(石川・2004)、

簑島(和歌山・2008)、東大津(滋賀・2012)、

東陵(宮城・2014)、松島(宮城・2014)、

阿蘇(熊本・2016)、釜石(岩手・2016年)、

金石農(秋田・2019年)、池田(徳島・2019年)、

花巻東(岩手・2021年)、高田(岩手・2021年)、

只見(福島・2022年)、吉田(山梨・2022年)…


こうして見ると東日本エリア、近年は東北の

学舎が多いのは、アクセスの容易さに私的

な思い入れがプラスされているからだろうか。


そして、このほど訪ねた仙台育英(宮城)である。

宮城野校舎と多賀城校舎+野球部グラウンド、

朝、生徒らの登校前の時間帯にした。もとより、

不審者の扱いされるのがオチだからである。


定番仕様の全国優勝の懸垂・横断幕の架かる

校舎を抜けると、広~いグラウンドが目に入る。

人工芝!金網越しの外野フェンスは両翼100m・

中堅125mだ。その上、バッティングケージも

あるのに派手な設えとは無縁で、部活の野球部

グラウンドの匂いがそこかしこに立ち込める。


あ、甲子園の優勝インタビュー時のスローガン

『日本一からの招待』の横断幕だってあるある。

この目で確かめて、ウ~ン!とひとり頷いた。


最寄り駅・仙石線「中野栄」駅前民家に選挙幕

を利用した“オメデトウ”幕の地元愛にホッコリ。






































































































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