2012/08/29

Recent Shots (August 29, 2012) 西成あいりん地区 2

西成の「あいりん地区」こと釜ヶ崎に泊まっている、
と友人に言うと、ほとんどがビビる。
日本最大のスラム・ドヤ街として刷り込まれているからだ。

ところが、この西成が、長らく続いた日雇い労働者の街から、
バックパッカーの安宿へと変貌しつつある。インターネットでの評判を
聞きつけて集まりはじめているのだ。既成概念のない外国人には、
この程度のスラムは緩やかで何ともないのだろう。



先入観を持たずに、コストパフォーマンスだけを見れば、
「あいりん地区」以上のお値打ちのある安宿街は、ニッポンに存在しない。
実質を重んじる世界の旅人から注目を浴びているという事実は、
私には、大げさにいえば黒船襲来のように思えなくもない。
日本人は、自分の眼で確かめる前に、他人の評判やクチコミなどの
採点を第一に重んじる。習癖は容易に抜けきらない。

加えて、ロケーションが抜群である。あのビリケンの通天閣も、
B級グルメの宝庫「新世界」もラクラク徒歩距離。
JR環状線も地下鉄御堂筋線も至近距離にあり、ミナミもキタも、
容易にアクセスできる。加えて「三都物語」の京都も、
奈良も、神戸も1時間以内で行ける。もちろん、甲子園球場も!

15日付の投稿で写真を何点か載せたが、再び釜ヶ崎に投宿して、
都合6泊。旅枕の参考になればと、追加するとしよう。
部屋のディテールと様子から、典型的な看板、近隣の銭湯まで。

 


甲子園よ永遠なれ (August 29, 2012) エトセトラ3

甲子園名物に「かちわり」がある。
この酷暑、かちわりを甲子園の専属にするのはもったいない、
マイ名物にもしよう。というわけで登場である。

高校野球ファンには言わずと知れた"ぶっかき氷"は
夏の風物詩である甲子園に、外せない脇役。
というか、脇役であったと言う方が正しい。
炎天下、かつては、この"氷の塊"が飛ぶように売れたのだが、
一袋200円に跳ね上がった値段がネックと思いきや、
ゼイタクな世の中になったのか、それ以上の250円もする
冷やしペットボトル系ドリンクが今や売れっ子で、
その陰で、半ばひっそりと売られている。

で、これを頭や首まわりに置いて"冷"をとるシーンが
テレビなんかでもよく映るが、これをウチでもやるのです。
キンキンに冷やした氷をほてった部位に置いて、
氷がほどよく溶けてきたら、そいつをストロー2本ですする。
(ストロー2本が肝要、1本だと水分の通りがよくない)

その際、お好みのドリンクを途中から混入させるのがミソで、
私の場合、エネルゲンなるのものを(球場外の自販機で購入・150円也)
写真のように混ぜ入れる。ひと味加えたマイ処方箋、
かちわりを2度!たのしめるという案配で、
スタンドのめざとい観客から、羨望の視線を送られたなあ。

さて、全国高校軟式野球選手権も、あっという間に決勝戦。
エールを送っていた初出場の登別明日(北海道)と
"常笑野球"で41年振り出場の気仙沼(南東北)の両校が準々決勝で敗退、
今年は、文徳(南部九州)と中京(東海)の一騎打ちとなった。
ラジオ放送もテレビ放映もないことにモノ申し続けているのだが、
多勢に不勢である(関西と当該地区のみNHKがラジオ中継)。
気を取り直して、軟式の甲子園・明石で行われる熱戦を、
「マイかちわり」をすすりながら、遠く離れた地で想像しよう。



















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2012/08/28

甲子園よ永遠なれ (August 27, 2012) エトセトラ2

甲子園らしいシーンを長らく探してきたが、
年々、発見するのがきわめて困難になってきている。 年々って、我が視力の相対的衰えもある!のだが、 甲子園が世間同様、のっぺらと平準化しているせいが大きい。 数年前から、段階的にレニューアルなるものを施して、 球場自体がツルツル・ピカピカになってしまった。 ニュー甲子園は、女性の高校野球ファンには評判もよく、 綺麗になったこと自体は結構なことだが、 培ってきた甲子園独特の匂いの嗅覚と、肌触りの触覚を 簡単に葬ってしまったのが、いとも残念である。 列島全体に見られる、無色無臭の"デオトラント日本"が とうとう甲子園の地まで及んでしまった、と言い含めたい。 そんな中、球場外にひっそりと置かれた写真の光景に 日々、釘付けになった。自転車のサドルから荷台にかけて、 施された出場チームを応援する日替わりのビラ! 「チャリ紙芝居応援メッセージ」と名付けて、 球場入り前、全方位からシャッターを押すのを日課とした。

掲出する写真は、すでに投稿したヒトコマだが、
ここに一挙にマトメて掲出することにする。

目を凝らして見ると、ヒトラーやら、毛沢東やら、
オバマらが登場するアナーキーな文言もあるが、これもご愛嬌。
「なつの甲子いく」で括られた登場校の応援メッセージは、
地方色豊かで、よく練られているひと言なのだ。



























































































さて、来年は、第95回の記念大会となる。
第56回大会(1974年)から撮り溜めてきた、
往年の甲子園の私蔵版フォトをお目にかけるとしよう。

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2012/08/27

甲子園よ永遠なれ (August 27, 2012) エトセトラ

甲子園は、ベスト8が出揃う準々決勝がいちばん面白い、
と長らく言われてきた。が、昨今はそうでなくなった気がする。

選手、とくに投手の健康を気遣って、連戦を避ける意味で、
準々決勝の4試合を半分ずつ、つまり2日間に亘って行うようにした
ところに原因の一つがある、と思っている。これによって、
甲子園は長らく14日間の日程だったが、15日間に延びている。

併せて、試合開始時間の変更もあえて要因に挙げたい。
準々決勝は9時開始の2試合になり、第2試合が終わるのは、
まだ太陽が真上にある、午後1時半前後である。
準決勝も同様の時間で行い、決勝に至っては10時半開始である。


























それがどうした、と言われそうだが、長らく、準々決勝は8時、
準決勝は11時。そしてファイナルの決勝は午後零時半の開始であった。
朝の涼しいうちに試合を消化したい。ナイター突入を避けたい。
などなど主催側に言い分もあろう。が、長い歴史の中で、
"時間"という軸も甲子園のたゆまざる伝統で、変更はご法度だったはず。
この時間帯が織りなす綾の中での攻防の戦術と戦法が、
観戦してきた39年もの間、ずっと身体に沁み付いている私にとって、
今では高校野球でない、何か別のスポーツを見るために、
甲子園球場に足を運んでいる。どうも、そんな気がしてならない。

2012年の今年も、準々決勝以降の試合は、忌憚なく言えば、
からきし心が動かなかった。大阪桐蔭、天理、倉敷商、明徳義塾、
東海大甲府、作新学院、桐光学園、光星学院がベスト8の顔ぶれだったが、
すべて3点差の以上のゲームで、どの試合も淡々と進んで、
手に汗にぎり、血湧き心踊るゲームが皆無だったと言っていい。

冒頭に挙げた、準々決勝以降の日程と時間の変更に、
このことが関係していない、と誰が言えよう。
幸いに三回戦までは、従来通りの時間軸で行われており、
最近は準々より三回戦の方が面白い、と思う人も少なくないと察する。























以上にも増して、球児のプレーそのものも変化している点が気になる。
時代の流れなのだろうか、強豪校に至っては、ほとんど「プロ野球予備軍」
と思わせるようなプレーが多くては、どこに心が動かされよう。
試合前の7分間練習の動き、試合中の球の回し方、走攻守のポーズ、
どれをとっても心を動かさせる何かが年々消えてきている。

倫敦オリンピックの競技場がさながら甲子園球場に移ったかのように、
メディアは絶叫し、熱闘甲子園に仕立て煽り続けたが、
グラウンドとスタンドに流れる風は、その実、どれほど熱かったか。

そういう意味合いで、大阪桐蔭に3回戦で屈したが、
臆することなく自分たちの野球を出し切った熊本・済々黌のナインに、
高校野球の原点をみたようで、唯一、救われた気がする。
加えて、彼らの珍しい得点が話題になったのも、何かの縁か。
(対・鳴門戦/野球漫画「ドカベン」の再現といわれた好走塁)
http://blog.livedoor.jp/livejupiter2/archives/5826981.html)













甲子園の魅力は、掛け値のない"せつなさ"にある。
桜と並んで世界に誇れる日本の美学が、まぎれもなく甲子園にある。

それはさておき、私は、人生のスコアボードに、
いささかでも得点しているのだろうか。


















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2012/08/26

甲子園よ永遠なれ (August 23, 2012) 大阪桐蔭VS光星学院2

全国高校軟式野球選手権大会が明石・高砂球場で始まったが、
今年はあいにく見に行けない分、もう少し甲子園私記を続けよう。

東北勢の頂点への挑戦は、今回で7回となるが、
94回という夏の甲子園の歴史の中で、過去の6回を併せて列挙してみるー。

第1回大会(1915年)   秋田中1-2京都二中
第51回大会(1969年) 三沢2-4松山商
第53回大会(1971年) 磐城0-1桐蔭学園
第71回大会(1989年) 仙台育英0-2帝京
第85回大会(2003年) 東北2-4常総学院
第93回大会(2011年) 光星学院0-11日大三
........................................................................
第94回大会(2012年) 光星学院0-3大阪桐蔭

























こうしてみると、戦前の秋田をはじめ、青森2校、宮城2校、福島の
4県が伝統校を擁して挑戦したが、いずれも悲願の白河の関越え成らずだった。
比較的新顔の光星学院の2年連続(センバツ含むと3季連続)は、
白眉で悲運としか言いようがないが、2年とも零敗だったところが引っ掛かる。

前稿で「高校野球は大学野球やプロ野球と違って極めて感情的なスポーツ」
と記したが、そのへんのところをもう少し掘り下げてみたい。

大阪桐蔭と光星学院の決勝戦は、事実上、大阪同士の戦いと言われていた。
出身中学をみると、ベンチ入り18人中、大阪の中学出身者は
大阪桐蔭10人、光星学院7人。他の部員も大阪桐蔭は全員が関西出身で、
光星学院は青森の4人を除き、全国各地からの野球留学組であった。
こういうケースでは、データがあるのかどうか分からなく、さしたる理由も
ないのだが、どうも地元の本家が分家(?)を制するという気が否めない。

「大阪桐蔭に憧れていた」と前稿で記した光星学院の中心バッターの言を
挙げるまでもなく、甲子園という準・大阪の聖地(実際は兵庫県西宮市)で、
大阪桐蔭のアタマに付いた"大阪"の2文字に、光星学院のナインは、
少なからず大きな重圧を感じて見えたほど、選手は萎縮して見えた。
(ついでに言えば、今の選手は知る由もないだろうが、小さな大投手と
語り継がれる田村を擁した福島・磐城が惜敗を喫した神奈川・桐蔭学園は、
大阪桐蔭とはまるで無関係だが、紛らわしい校名の重力?ではある)




















さて、深紅の優勝旗が「白河の関」を越える日は!?と今以上に、
騒がれていた10年近く前、白河の関どころか、一足飛びに
津軽海峡を軽々と越えた駒大苫小牧の勲章に、ここであえて触れたい。
第86・87回大会(2004・5年)は、駒苫旋風が甲子園の内外に
ハリケーンのように吹き荒れた、高校野球史でも特筆される大会だった。
(翌年の早実との壮絶な決勝再試合は世紀のドラマと称されて、
甲子園ファンの脳裏に「駒苫」の名は陽炎のように焼き付いているだろう)

第86回の相手チームは春夏連覇を狙っていた愛媛・済美だったが、
二転三転の壮絶な打撃戦の末、13−10で勝利して歓喜の初優勝。
第87回は京都・京都外大西を相手に横綱相撲の5-3で下して連覇しているが、
前日の準決勝では大阪桐蔭を6-5(延長10回)で破った記録が残っている。

その両年、目に焼き付いているのは、完全にアウエーであったはずの
北海道の駒大苫小牧が、スタンドを埋めた満員の甲子園ファンを
なぜか完全に味方につけたかのようで、拍手と手拍子がスゴかったのだ。
相手の済美は、関西のファンに好まれる野球王国愛媛の代表、
ましてや京都外大西は、言わずもがなの関西の京なのに、である。

よく甲子園ファンは「判官びいき」と言われてきたが、この時ほど、
それを感じたことはない。雪との戦いというハンディを乗り越えて甲子園に
辿り着いた匂いのようなものがナインにあったのだろうか、
何かひたむきなチームカラーを観客は感じて応援した。そんな気が強くした。




















ひるがえって、光星学院に惜しむらくはスタンドの後押しがなかった。
3季連続決勝にコマを進めた裸の大将に、観客は何を感じていたか。
繰り返しになるが、分家で苦労してきた子たちも可愛いのだが、
より競争の激しい本家で切磋琢磨してきた子たちの連覇への夢を
叶えさせたい空気が勝っていた。当然といえば当然であり、
そういうスタンドの空気に克つのは、高校生には酷なことである。

光星学院に欠けていたものがあるとすれば、という前稿のくだりで、
「心・技・体」の甘さを挙げたのだが、小フェイスブック版(http://p.tl/eW9g)に
仙台の方から興味深いコメントがあったので、ここで抄録させていただく。
「東北人の心技体は"忍"で支えられている。その忍は人を打ち負かす
力ではない内側のパワーで、勝つ力にはならないのかもしれない」

いみじくも東日本大震災からの復興に立ち上がる東北人の姿を、
見事なまで具現化している言葉のように思えてくる。
こうした内側のパワーこそ、日本の真のパワーではなかったか。

神のみぞ知る、、、近い日、東北のチームにまごうかたなき栄冠が
輝くことを、7回の挑戦をもって、いま信じてやまない。
あのダルビッシュ(東北)も果たせなかった、真の白河の関越えを。





















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2012/08/24

甲子園よ永遠なれ (August 23, 2012) 大阪桐蔭VS光星学院


史上初の春夏同一カードによる決勝戦。
全勝の横綱同士がぶつかる千秋楽のような舞台に
熱い攻防を期待するも、淡々とした展開で、
夏のテッペンへ駆け上がったのは、春の覇者だった。



















みちのくに初の大旗を!の挑戦者・光星学院の夢を、
またしても打ち砕いた大阪桐蔭の恐るべき強さだけが際立った。
都道府県別優勝の最多を更新する大阪勢のそれは、
何よりも頂点であり続けることへの飽くなきプライドであり、
地の利を差し引いても余りあるもの、と言えよう。

「一球同心」をはじめ、大阪桐蔭の野球を形容する言葉は
多様だが、今夏も勝つべくして勝ったというほかない。
甲子園での通算戦績は32勝7敗、何と全国1位の勝率である。
ことに全員野球をモットーとする西谷監督の勝率(24勝4敗=8割5分3厘)は、
あのPL学園を率いた中村監督のそれを(58勝10敗=8割5分1厘)を
上回る、というから、記録は破られるためにある!?
にしても、大阪が大阪を抜くという「切磋琢磨」が大阪の強さか。

部員66人の殆どがボーイズリーグの出身で、全員がスポーツ推薦入学。
加えて、多数のOBプロ野球選手による、有形無形?の
「V製造システム」が出来上がっていると聞けば、
主催新聞社の見出しに踊った「大阪桐蔭 最強形」も何ら不思議でない。



















さて、光星学院。3季連続の準優勝は、別の意味で偉業である。
東日本大震災からの復興に、どれだけの人が勇気づけられたことだろう。
ただひとつだけ足りなかったもの、それは、
相撲で言うところの、いわゆる「心・技・体」でなかったか。
そのどこかに銀メダルであり続ける甘さが潜んでいるように見えた。

ゲームでの戦術や個々のプレーには言及したくない。
ただ試合後、チームで最も注目を浴びていた大阪出身の選手が
「大阪桐蔭に憧れていた」と、ふともらしたと聞けば、
それこそ高校生のことだからして無理もなかろう、と思う。
が、同時にそこに優勝をたぐり寄せられなかった、
何か大事なメンタル要素が隠されていたような気がしてならない。
それは高校野球というものが、大学野球やプロ野球と違って、
極めて感情的なスポーツであるからだ。

三沢高校が松山商業との世紀に語り継がれる名勝負・
引き分け再試合を演じてから、すでに43年の月日が流れている。
夏の選手権大会だけでも、東北勢として7度の挑戦。
甲子園の女神がみちのくの球児に微笑む日は、果たして近いのか。




















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