2021/04/29

自粛をしても花は咲く。会津の桜2題

みちのくの桜追いは、列島のいずこ同様、

東奔西走してこそ見ごろに出会える。

県をまたいで右往左往する!感覚に近い。


気づけば「青春18きっぷ」のラストデー、

無いアタマを絞って〆は会津エリアへ。

釜石線→東北本線→磐越西線という

昭和ゴールデンデラックスな桜股旅也。


好天、ポカポカ陽気の土曜日ときて、

「日中線シダレ並木」「鶴ヶ城」ともに

列が途切れない。待ちわびる会津の春、

自粛下のマスクに微笑みがこばれている。


お化粧直しというか、レニューアルを

重ねた鶴ヶ城とその一帯は、お城の

テーマパークと思わせるような佇まい。

会津ノスタルジーよ、いまいずこに?


 
(投稿日は撮影日と異なります)























































































































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2021/04/28

案山子も花見する!唐丹・本郷の桜

あれから10年、釜石市南東部にある

唐丹町の本郷集落をようやく再訪する。


2011年春、難儀して峠を越え辿り着くと、

桜並木を消防車がサイレンを鳴らして

走る非常時の光景が目に焼き付いている。


現地への道のりは記憶の彼方に霧散。

行きあたりばっ旅は不能。調べまくって

ネット出力した路線バス+町民バスの

時刻表を握りしめての現地入りである。


















飛び乗ったバス、幸いにジモティーと

おぼしき若い女性からヘルプの声かけもあり、

(この風体に、まことに僥倖なレア体験)

安堵して本郷の桜並木に辿り着いた。


1896(明治29)年と1933(昭和8)年に襲来、

壊滅的な被害を与えた「三陸大津波」碑。

傍らに「伝えつなぐ大津波2011.3.11」

と彫られた数基の碑が光明を放っている。































来歴によると「昭和三陸大津波」後、

旧唐丹村に植樹された約2,800本の桜は

復興への祈りと、今上陛下の生誕を

祝うためとされる。そのうち約800本が

残る本郷の桜だけが3.11の大津波に

洗われながら見事な花を咲かせてきた。


とはいえ、染井吉野の平均寿命を超える

齢90年になる古木。新たな桜並木を

つくるため植樹活動を続けていると聞く。


ふと目を上げると、桜咲く墓地の横、

ミニ耕地に、か・か・案山子がいるでは!

何という歓待ぶり。桜股旅人は、秋、

案山子股旅人に転じ本郷を訪ねなくては。


 (投稿日は撮影日と異なります)



















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2021/04/26

夜桜と朝桜と熊と…2021釜石の桜

BRT大船渡線と三陸鉄道を乗り継いで、

桜では10年振りになる釜石を訪ねる。


かつて「東北の上海」「不夜城」とまで

言われた鐵の街・釜石。その夜景を

彷彿させるような桜の塊が目を射った。


「津波襲来の地」碑の傍ら、無造作に

散りかけた桜木が、2011年・大震災の後、

訪ね歩いた凄惨な街の記憶を増幅する。


翌朝、教会の十字架を目印にして、

熊に注意!しながら薬師公園まで登る。

急峻さも佇まいも変わらない中で

ピーンと張った「はなれてあそぼう」の

横断幕がユニーク。ひとり拍手する。


小高い丘の上、桜の釜石小を訪ねる。

厳重な立入禁止看板、熊が出没するのか?

思わず、我の姿をミラーに映してみた。


 (投稿日は撮影日と異なります)



































































































































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2021/04/25

「きみたちは甲子園に1イニングの貸しがある」—高田高校

「そして青空と太陽の貸しもある」阿久 悠


あれは昭和最後の夏、1988年夏の甲子園。

56年振りの降雨コールドで涙を飲んだ

初陣・高田高ナインの姿がおぼろげに甦る。


(画像10)

1988年8月11日 第三試合 甲子園

滝川二 9 :3 高田 (8回雨天コールド)


―敗れざる君たちへ―副題のごとく、

あの夏の高田ナインの健闘を称え詠んだ

「甲子園の詩」(阿久 悠)のページを

30年余の歳月を経てめくる。(画像8・9)


*NPO法人「桜ライン311」のご好意で

市内に植樹された桜へのご案内の間に、

高田高校のグラウンドへお連れいただく。


広田湾からの海風が小高い丘にある

桜に囲まれた岩手県立高田高校の

グラウンドに潮の香りを運んでいる。


あの夏の甲子園の貸しを返すためにも、

グラウンドで練習に励む高田球児の姿が、

校庭を彩る桜とともに瞼に焼き付いた。


Youtube動画 第70回大会 高田VS滝川二

https://www.youtube.com/watch?v=0gwyGYlpdJc

(懐かしい陸前高田の町並みも見られます)


*「桜ライン311」による桜の植樹は、

「みちのく桜ルポ」のシリーズ最後に

あらためて取り上げる予定でおります。

 (投稿日は撮影日と異なります)





























































































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