2023/07/30

2023年 阿蘇神社「御田祭」

阿蘇神社「御田祭」の画像です。

「祭」には行けずでしたが、

昨夏に続いて8月中旬あたりに

阿蘇・熊本を訪ねる予定です。


*阿蘇神社・社務所の

Facebookからの転載です。












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(*阿蘇神社は母方(阿蘇)の生家です)

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(Blog・4.16 熊本・阿蘇の地を歩く)

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2023/07/17

ひねもす旅路のアンカー、BRT大船渡線

久慈(岩手県)から気仙沼(宮城県)までの

三陸海岸を一気に南下する。およそ

600km余の行路。三陸鉄道南リアス線と

BRT大船渡線を利用する一日がかりだ。


このルートは、3.11東日本大震災以来、

沿線取材&撮影のたびに利用してきたが、

一気通貫での乗車はたぶん初。2012年

導入時は、鉄道の代行輸送の役割だった

「BRT」(Bus Rapid Transit/バス高速

輸送システム」は今では利便性で定着。

地域の公共の足であり、訪問者のアクセス

手段で重用されるのは周知の通りである。


世に言う「鉄道マニア」的な濃度は薄く、

単なる風来坊の輩が眼を凝らすのは車窓に

流れる景色。直近のBlogで「列車とバスの

車窓から望む景色は違って見える。路線バス

から望む景色に心動かされる」と綴ったが、

BRT=バスなので その優位性は動かない。


ともあれ、盛から乗車したBRT車窓からの

景色に心ときめく。3.11以来、幾たびも

通った集落が窓に流れる。が、途中下車は

旅程上からNGと諦めていたが、そうだ、

「大船渡線列車」接続から逆算した30分を

最大に利用!と気づいて鹿折唐桑で下車。

連なる災害公営住宅に目を見張り、帰途の

道中用のエサを急ぎ調達して大の満足!

早足で戻れば、お、気仙沼行きBRTが来る。







































































































2023/07/13

リアス線は続くよ、どこまでも…三陸②

日本最初&最長の第3セクター、三陸鉄道。

久慈〜〜大船渡の地域住民の足として、

3.11東日本大震災で大被害を被りながら、

早期復旧を成し遂げたのは記憶に新しい。

加えて、「三鉄ファン」の名が示すように、

風光明媚な三陸エリアの観光の足として

全国から訪れる人も多い人気の路線である。


2019年3月にあったJR山田線(宮古~釜石)

の三陸鉄道への移管で、従来の北リアス線と

南リアス線が「リアス線」として一本化。

今まで「北リアス」と「南リアス」の呼称で

親しんできた私なぞは、今もって違和感を

拭えない!ままにズルズルと乗るのだが、

きっと歴史の月日が解決してくれるのだろう。


津軽石、払川、豊間根、陸中山田、織笠、

岩手船越、浪板海岸、吉里吉里、大槌、鵜住居、

両石、釜石、平田、唐丹、吉浜、三陸、甫嶺、

恋し浜、綾里、陸前赤崎…懐かしい駅名に

目を泳がせているとリアス線の終着駅・盛だ。


3.11東日本大震災によるJR山田線の不通時は、

岩手県交通、および岩手県北バスを長らく

利用した。同じ車窓でもバスと列車の窓から

望む景色が違って見えるのは気のせいだろうか。

自身の好みで言えば、列車よりも路線バスの

車窓から望む景色に心動かされる。なぜだろう。














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2023/07/11

北リアス線は続くよ、どこまでも…三陸①

久慈(岩手県)から気仙沼(宮城県)までの

三陸海岸を一気に南下する。およそ

600km余、三陸鉄道(北リアス線)と

JR大船渡線を利用しての一日がかりだ。


このルートは、3.11東日本大震災以来、

沿線の取材&撮影のたびにお世話に

なってきたが、“一気通貫”で利用する

ことはまずない。今回、格安切符パスの

利用にて時間的に途中下車は叶わず、

撮影は車窓越しに。ま、それもグッド。


陸中野田、堀内、普代、田野畑、摂待、

田老…と馴染みの駅が視界に流れる

うちに北リアスの終着・宮古駅に着く。

麗しい七夕の装飾に目をウルウルと

泳がせながら、ふと、前回もこの季節

に訪ねたんだ!と朧気な記憶が蘇る。


かつて碇を下ろした街・宮古で荷を

解いて、在所の人々たちと杯を傾けて

ゆっくり交わりたかったのに叶わず。

そんな中、観光案内所の旧知の方々と

言葉を交わせたのが、ま、救いだった。

















 



















































































































2023/07/09

甲子園の魔物…から30年、変わらぬ久慈の恵み

久慈といえば、真っ先に甲子園の魔物を

思い起こす。1993年夏、第75回大会に

初出場した久慈商が、川上憲伸を擁する

徳島商を終盤まで7–0とリードしながら、

8–7で逆転サヨナラ負けを喫した試合が

脳裏に浮かぶ。「甲子園には魔物が棲む」

とよく言われるが、平凡なライナーを

濡れた芝生に足をとられた左翼手が後逸

する不運もあり、涙を飲んだ試合だった。


球史に残る名勝負、語り継がれる白球の

系譜の類いは、枚挙にいとまないほど

観戦してきているが、しばし、茫然自失。

小雨そぼ降る三塁側スタンド、甲子園の

カチワリ氷のように身体が固まっていた。


JR八戸線と三陸鉄道が交錯する久慈駅は

鉄路の要衝。流浪人とて、桜の春、案山子

の秋に、少なからずお世話になっている。

ファン全国区!という名物の久慈駅弁

「うに弁当」は今回もありつけず。きっと

永遠にオアズケが続くだろうが、味蕾が

決定的に欠如する私には悔しさもない。


コンビニの握り飯で日々の糧は、十分!

というオチにもならぬオチが付いて、

駅の周辺に眼を泳がせた。昔ながらの

駅前ビル、客待ちタクシー......不変で

変わらぬ景色がいい。願わくば、久慈の

高校が甲子園出場を果たせますように!

と願をかけながら、愛しき町を離れた。