2014/06/30

「できることからバス」ボランティア・ツアー体験記②  @相馬市松川浦

夜半からの雨がいっこうに降り止まず、
予定された松川浦のクリーン作戦が中止に。
危険を伴う作業とのことでやむを得ず。

急きょ、まずは投宿した亀屋旅館のご主人から、
大津波が来襲した3.11の一部始終を
動画を交えて仔細に伺い聞くプログラムに変更。

あの日の映像はユーチューブなどで繰り返し見てきたが、
当事者からのナマの肉声は何より貴重で、
「復興まであと何年かかるか想像もつかない」
と最後に仰ったのが、ことのほか印象的だった。

松川浦*は、相馬から福島交通の循環バス便があるので、
3度ほど訪ね歩いて固唾を吞んだエリアだが、
原釜・尾浜地区の車窓光景は時を巻き戻して見るようだ。

風光明媚で恋人たちのデートスポットで知られた松川浦は、
また全国でも有数の水揚げを誇ってきた漁港。
地元でがんばる漁師の方からの案内で、
慰霊碑に手を合わせた後、復興へ歩む地域の抱負を
伺えたことも、雨天変更ならではの恩恵だった。


































*過去のブログ:
*相馬市松川浦1-4 (2012.8.2〜)
http://petekobayashi.blogspot.jp/2012/08/vol12-3-1.html

バスは、宮城県との県境に位置する新地エリア*に進む。
震災後、この近くで被災田にすっくと立つ案山子**を見つけて、
合わせて何度か通った山元町の隣町である。
ちなみに新地は、相双エリアで復興が一番進んでいると聞く。
2017年春、ようやく新しい鉄路が通る常磐線の
浜吉田ー相馬間復旧に向けて、工事の槌音が響いている。






































*過去のブログ:
*福島県新地町1-2 (2012.7)
http://petekobayashi.blogspot.jp/2012/07/vol11-41.html

**宮城県山元町中浜 (2012.10ほか)
http://petekobayashi.blogspot.jp/2012/10/2012vol6-1_26.html

帰路、「鹿狼の湯」で蕎麦と露店風呂に預かって、
夕方前に福島駅に無事に着いて、ツアーは解散。
"夢の超特急"と私は呼んでいる新幹線帰京組を
見送って、さあて在来線の最終便までは時間がある。




















ボランティア・バスツアーを企画された
福島交通とBridge for Fukushimaの方がた、
2日間、ふつつか者をありがとうございました。

*福島交通観光の
福島相双エリア・ボランティアバス
「できることからバス」
http://goo.gl/ndeOK8
_________________________________
*フェイスブックでも投稿しています

2014/06/29

「できることからバス」ボランティア・ツアー体験記①  @南相馬市小高区

福島市内の雑魚寝サウナにフラれて、
やむなく仙台の定宿カプセル物置部屋に投宿、
ハアハアと始発の在来線で福島へ下る。

6月初旬に投稿した「できることからバス」ツアーは、
キャンセル待ちが出たほどの人気企画で、
週末の28(土)朝、復興への思いをそれぞれ抱いた
老若男女30名ほどが福島駅西口に集った。


コースは飯舘村を経由して、南相馬市小高区へ。
昼食をはさんで、小高駅前の雑草の除去、花植え、清掃など
2班に分かれて、夕方まで軽作業に勤しんだ。

折々にブログやフェイスブックで発信してきたように、
自身は、2011年4月以来、青森県から千葉県までの
多くの被災市町村を取材・記録してきたが、初ボラ!である。

飯舘村と南相馬市の小高地区へは、「避難指示区域」で
足を踏み入れられなかったのと、軟弱な輩でも、
参加できそうな感じがしたからである。
が、労働作業よりも写真を撮っている時間の方が長〜い?
と揶揄されるなど、誰がどう見ても"異分子"であった。(陳謝)

◎「飯舘村」はバスの車窓から見るのみだったが、
除染作業中のノボリがはためき、「避難指示区域」
(帰宅困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域)
である一帯は、時間がまったく止まっていた。
(下・写真)



福島第一原発から20km圏内の南相馬市小高区は、
現在、日中の帰宅のみ可/宿泊不可という
状況下にあり、一帯はさながらゴーストタウンのよう。
避難指示解除準備区域(2016年4月予定)とされるが、
住民の多くがもう小高に戻りたくない意思を表しているという。

復旧の見込みさえも立たないJR常磐線の小高駅。
ホーム周辺は草ボウボウでも、明るい明日が戻ることを
信じて、駅前に花を植え続ける旅館の女将さん。

小高区のかつての伝統産業であった「養蚕」。
カイコによる「小高天織り」プロジェクトを始動させて
NPO法人を立ち上げ、産業化をめざず篤志の方々。

★福島交通観光のボランティアバスが横付けされた
「あすなろ交流広場」に高々とそよぐ
こいのぼり」が小高区の希望のようだった。


































 この「できることからバス」ツアーは、
福島交通(株)と一般社団法人「Bridge for Fukushima」の
 共創による「ふくしま復興かけはしツアー」(7回実施)
 の後継版というべきもの。参加者は一様に、
 メディアの報道と実際に見聞するギャップに目を見張り
 ながらも、復興への息吹を肌で感じたことだろう。

*福島交通観光の
福島相双エリア・ボランティアバス
「できることからバス」
http://goo.gl/ndeOK8
_________________________________
*フェイスブックでも投稿しています

2014/06/27

アパートがNGならエサがある@山谷地区

お江戸に出たら、手ブラでは帰らない。
という案配で、一眼カメラならぬ胃カメラを
飲用のあと、山谷エリアを歩いてきた。

言わずと知れた東京の寄せ場(ドヤ街)だが、
NYタイムズの電子版をはじめ、バックパッカーの
バイブルと言われる「ロンリープラネット」に載るなど、
物価高の東京で格安な宿と食が得られる!と、
日本人より外国人に人気があるのがフシギである。

 




















ばってん、浅草も上野も至近アクセスのせいか、
素泊まりならまだしも、アパートとなると0が一桁違って、
お手上げである。が、転んでもタダで帰れぬタチだ。

泪橋の交差点のほど近くの横丁を入ると、
「マリア食堂」なる看板を見つけて、
"のり弁(110円)"と"アスパラ(30円×3食)"を求める。

胃もよろこぶ、ゴーカな夕餉にありつけた。

.........................................................................
*フェイスブックでも投稿しています
http://www.facebook.com/petekobayashi

2014/06/25

アーサー・ホーランド「WALK ACROSS USA」     "LIVE TALK SHOW" 6/24@中野・弁天ミニレポート

父がアメリカ人、母が日本人という出自から、
自らを"合いの子"でなく"愛の子"、

"ハーフ"でなく"ダブル"と称する、アーサー・ホーランド。

2年前に敢行した「日本列島縦断」を引き継ぐ、
アメリカ大陸横断・WALK ACROSS USA」。
その走行距離はすでに2,000マイルほどに達している。

その映像や動画はSNSサイトで目に触れられるが、
ナマの声が聴ける機会に、ライブ小屋は熱気でムンムン。

歯に衣を着せないトークがシームレスで90分、
まるでrock'n'rollのようにライブハウスに鳴り渡る。

とりわけ漱石、親鸞、サン=テグジュペリ、鴨長明、
ジョン・レノンらが残した言葉を用いての真摯な問いかけは、
何かに取り憑かれてシャバで右往左往する人間には、
寸鉄に富むもので、逐一、ストンと腑に落ちる。

内省に迫られながらも、贈られたエールは、
明日へ生きるエナジーを十二分に与えてくれた。


★次回のライブトークショーは
「WALK ACROSS USA」第3ステージを終える
  8/26(火)、9/16(火)です。お見逃しなく。





_________________________________________________

★アメリカabc news 7にて放映「WALK ACROSS USA」
http://abc7.com/archive/9479949/


▼アーサー・ホーランド公式サイト(トピックス毎日更新中)
http://arthur-hollands.com/

▼不良牧師アーサー・ホーランドのブログ

▼フェイスブック






















★ロングセラー
『不良牧師!「アーサー・ホーランド」という生き方』
(文春文庫)  562円+税) データベースよりー

新宿の路上で「あなたは愛されている」と語り続け、
材木の十字架を背負って日本列島を縦断。
元ヤクザを集めたクリスチャン集団「ミッション・バラバ」の
生みの親にして、ハーレーに乗った伝道師。
そして今、薬物依存者救済に取り組む男。
自ら「不良牧師」と名乗る混血の五十男の半生記。
序文・松田美由紀 解説・VERBAL

_________________________________
*フェイスブックでも投稿しています

2014/06/23

現代詩の長女・茨木のり子展に再び

胸のすくような日本語の使い手であり、
"現代詩の長女"と呼ばれた「茨木のり子」展に、
梅雨空の土曜日、遠路、再び足を運んだ。

昨日、今日と朝刊の1面コラム(朝日・天声人語*)に、
この時局にかけて茨木のり子展と詩が
続けて引用されたのも、偶然とは思えない気がする。

きょうは沖縄慰霊の日。

6月9日付の小ブログにて代表作を抄録したが、
「わたしが一番きれいだったとき」のもう2節を記そう。
多感な10代を戦争に奪われた月日を回顧する
言うまでもなく、もっとも有名な詩のひとつである。

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

"現代詩の長女"と名付けた詩人・新川和江さんは、
「すがすがしいハンサムな女性詩人!」
ハンサムという美称を初めて使って称している。

静かにゆくものは
すこやかに行く
健やかにゆくものは
とおく行く

女流詩人がいちばん大切にした詩句、と聞く。

自己批判の精神を忘れた今の時代こそ、
もっと愛しまれていい、稀有な詩人とつよく思う。


























----------------------------------------------------------------------
★茨木のり子
世田谷文学館 03-5374-9111 
〜6月29日(日)まで(月曜休館)
交通:京王線芦花公園駅より徒歩5分、
JR荻窪、小田急千歳船橋よりバス便あり
http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html


*天声人語
http://www.asahi.com/paper/column.html



_____________________________________
*フェイスブックでも投稿しています
https://www.facebook.com/petekobayashi