2025/01/17

1995・1・17・05゜46’ 52”:阪神淡路大震災

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その前夜まで、私は関西・大阪にいた。


成人の日が1月15日だった四半世紀余り前、

3連休を利用して「三都物語」の関西3エリア

を訪ねていた。前泊した大阪の友人からは、

もう一泊したら!と勧められたが、前年秋に

レンゾ・ピアノの設計で開港した「関空」

(関西国際空港)をいち早く見て、体験したい!

好奇心から前夜16日の最終便に飛び乗った。


加えて、その日はマイ・バースデーだった。

幼いdaughterが誕生日を祝ってくれるかも!

の微かな期待もあったような朧げな記憶も。

JAL 最終便:関空20:30➤➤➤羽田22:00


17日朝、ニュース報道で驚愕した。出勤した

外資系広告代理店の社内でも尋常ならぬ空気。

翌週末、居ても立ってもいれず、友を誘って

夜行列車で西へ。唯一、動いていたJR神戸線で

芦屋まで辿り着く。崩壊した高速道路、潰れた

家々、ひしゃげた商店等が延々と続いている。

茫然自失。青色の敷物(後のブルーシート)が

行く手の全体を覆っている。押し黙ったまま、

上空を睨んで、カンを頼りにひたすら西へ。


心身制御不能。辛うじて脚だけが動いている。

時間・距離の感覚はもろごと喪失。昼行燈。

首にかけられた一眼カメラのシャッターには、

一瞬とて触れられず。携行した身をなじる。

……やがて、半壊ビル群の躯体が視界に現る。

これが神戸の姿か!!いたたまれぬままに、

ボランティアで現地入りしている米国人レディ

の知人を見て、募金箱にそっと手を入れた。


(帰路は割愛)

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1995年1月17日「阪神淡路大震災」を緒に、

「3.11 東日本大震災」などの被災地に

微力ながら心を寄せてきている身ですが、

手を差し伸べられなかった「1.17」の

負い目が埋め合わせのように働いている...。

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神戸震災復興記念公園:2024.9.29 撮影




























































































































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