失望して悔しくて。何のために、
あの事故はあったのだろう」
――福島県大熊町から避難した女性
すぐ戻れるだろうと思って避難した
若い女性が、4年経って、白色の
レインコートに身を包み、帰宅困難区域に
指定された元の住まい近くを訪ねる。
そこはやがて中間貯蔵施設になる。
よそで原発が再稼働するのを知って、
「絶望しても、せめて何か変わると、
信じたかった」とつぶやく。
―広河隆一の写真集「チェルノブイリと福島」から」
・・・朝刊1面(全国版)の連載コラム・
「折々のことば」から引用させていただく。
*ちなみに名うての同コラムは、
時としてと、"寸鉄 人を刺す"ものであり、
滋養に富み、朝飯代わりにしている。
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同紙の12面(全国版)「俳壇時評」には、
「フクシマと十代の俳句」のタイトルで
奇しくも3句が紹介されているが、
こちらからも、1句だけ引用させていただく。
「被爆者として黙禱す原爆忌」高橋洋平
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フクシマとヒロシマ、そしてナガサキ。
3.11からほどなく福島を訪れた私は、
振り返れば、幼年、阿蘇・熊本で
孤児となって「長崎」の見ず知らずの
人にもらわれていった母から、
終戦の年周りにこの世に生を受けている。
福島 と 広島、そして長崎。
ふくしま と ひろしま と ながさき。
子どものころに初めて目にした
ひらがな、そしてやっと覚えた漢字で
再び書ける時が、日本が、
はたしてやってくるのだろうか。
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*下に掲出の写真画像は、上記の記事と
関係があるものではありません。
2016年3月11日撮影
福島県浜通り・勿来(16.3.11.15:46)
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