2023/07/09

甲子園の魔物…から30年、変わらぬ久慈の恵み

久慈といえば、真っ先に甲子園の魔物を

思い起こす。1993年夏、第75回大会に

初出場した久慈商が、川上憲伸を擁する

徳島商を終盤まで7–0とリードしながら、

8–7で逆転サヨナラ負けを喫した試合が

脳裏に浮かぶ。「甲子園には魔物が棲む」

とよく言われるが、平凡なライナーを

濡れた芝生に足をとられた左翼手が後逸

する不運もあり、涙を飲んだ試合だった。


球史に残る名勝負、語り継がれる白球の

系譜の類いは、枚挙にいとまないほど

観戦してきているが、しばし、茫然自失。

小雨そぼ降る三塁側スタンド、甲子園の

カチワリ氷のように身体が固まっていた。


JR八戸線と三陸鉄道が交錯する久慈駅は

鉄路の要衝。流浪人とて、桜の春、案山子

の秋に、少なからずお世話になっている。

ファン全国区!という名物の久慈駅弁

「うに弁当」は今回もありつけず。きっと

永遠にオアズケが続くだろうが、味蕾が

決定的に欠如する私には悔しさもない。


コンビニの握り飯で日々の糧は、十分!

というオチにもならぬオチが付いて、

駅の周辺に眼を泳がせた。昔ながらの

駅前ビル、客待ちタクシー......不変で

変わらぬ景色がいい。願わくば、久慈の

高校が甲子園出場を果たせますように!

と願をかけながら、愛しき町を離れた。

























































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