「暑さ寒さも彼岸まで」......
昔のひとは よく言ったもので、
いつの間にか、秋分の日。
(@渋谷区神宮前6丁目)
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60年代~のVAN・IVYブームをイラスト画で伝える
追悼「穂積和夫の世界展」に急ぎ駆け込んだ。
我が青春の真っ只中だろうか、旧き佳き学生時代が
走馬灯のように、甘酸っぱい感傷を伴って甦る。
sweet and sour memories...
((お知らせくださった"つじ ただゆき"さんに大感謝))
@ Gallery 5610 (東京都港区南青山)
https://www.deska.jp/onview/10963.html
〜2025.9.25(金):最終日16時まで
((高校球児が戦う「U-18野球」(於 : 沖縄)が
佳境を迎えて、閉幕から2週間余もサボった
甲子園の投稿を大遅刻を差し置いて上げる))
甲子園観戦の事前ネット予約制度によって、
今夏もまた、甲子園から危うく弾き出される
ところだった。幸いに今年も一緒に決勝戦
を観たYクンの代理購入で、順々決勝からの
7試合を場外でなく球場内でバッチリ見れた。
観戦は外野席の左翼側・中段~上段!日替り。
(1,000円。外野席無料だった時代も今や昔!)
各日の試合等の観戦記は、今さら上げぬが、
あろうことか、大会中に勃発した広陵高etcの
不祥事が白日の下に晒され...尾を引いたわけ
でもなかろうが、聖地・甲子園のグラウンド、
はたまたフィールドへの興味・関心の深度が
加速度的に下降。さらには端的に述べるなら、
我がうなじを焦がすようなシーンに出合えず。
甲子園通い連続52年目に初めて体験する妙な
感覚。この体感を払拭、はたまた検証するには
来季・108回大会までの時間を要するだろう。
果たして、我が肉体と精神が司る意思が持続!
出来うるかどうか、甚だ心もとない晩夏である。
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晩夏の風物詩といえば「風の盆」である。
〽 八尾よいとこ
オワラの本場~
二百十日を オワラ
出て踊る~
ぼんぼりの仄かな明かり。もの悲しい胡弓・
三味線の調べ、囃子が一帯となって……。
この世のものとは思えぬ幽幻な色香の世界。
目深に被った編笠は、恥らいの色香と情緒か。
夜目遠目笠の内?ねっとりとまつわる大気。
〽 踊る姿に
見惚れているに~
なぜに編笠
オワラ 顔かくす~
あたかも思慕を寄せたヒトに、時空を超えて
巡り会えた=見についてならぬ おわらの恋風。
↑ 「日刊スポーツ」掲載記事:2010年8月22日
「ピート小林と歩く こころの日本遺産」 (文+写真)
*おわら「風の盆」
9月1日・2日・3日
公式サイト:
越中八尾観光協会
076-454-5138
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連続通い半世紀超になる夏の甲子園。
あの「フィールド・オブ・ドリームズ」
という、一途に白球を追う野球の原点
に最も近いのが、日本では「甲子園」。
聖地・甲子園の魅力は、掛け値のない
“せつなさ”にある。世界に誇れる日本の
美学が、まぎれもなく甲子園にある。
大リーグがアメリカン・ドリームなら、
甲子園はジャパニーズ・ドリームなのだ。
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2~3時間に1本という常磐線のダイヤで、
日没までに浪江~富岡の5地点の下車は
とうてい無理である。よって大野、富岡は
パスして双葉の次の地は世の森に定める。
3.11大震災後、いち早く復活した名だたる
「世の森桜まつり」撮影で足繁く通った
勝手知ったる地。改札口を抜けるとメインの
駅前(東口)はななんと“がらんどう”である。
十年余りも放置され放しだった自動販売機・
ゲーセン類と商店・家々はとうとう消滅して、
もぬけのカラと化して、更地になっている。
よく「無くなった跡に出くわした際、あれれ、
前は何だっだっけ!?」と狐につままれる
アレである。だが、ここに在った物体は我が
脳裏に焼き付いて、おいそれとは離れない。
*2011年3月11日の夜更け、たまさか歩いて
いた東京の都心(震度5強)から数時間歩いて
アパート近くの一坪呑み屋に駆け込んだ際、
主人、曰く「この大地震から復旧をするには
30年はかかる!」と私を諭した。30年!と
耳にしてもいささかピンと来なかったのだが、
来たる26年3月は、半分の15年ほどになる。
ウ〜ン、30年後、この“がらんどう”の地は、
どうなっているのだろう?15年後の我が身の
行く末は?だが、浜通り一帯を歩いてみたい。
浪江、双葉、大野、世の森、富岡...いわき。
駅から続く土手に青々と繁る桜の老木たちも、
樹齢?に抗ってきっと待っている、と思いたい。
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(↑before)
(↑before)
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○公共アクセス
□上野―世ノ森(常磐線利用)
(普通)約5時15分
(特急)約3時間5分
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メモ:
福島県双葉郡富岡町:
福島第一原子力発電所から約4km~
住民登録:
・東日本大震災当時:約16,000人
・現在、約2,500人余(推測)
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